春の日

昨年の暮れ、塾生の中からひとり養子に取った。 家族の都合と言うものが、どの時代でも何かしらあるのは仕方ない。しかし両親の不慮の事故やら親戚らの知らぬ存ぜぬの顔が重なる状況を黙って見ているのは我慢ならなかった。 人並みの子どもとしての幸せに疎かった旧友2人の幼い頃と重なり、ふとそうする事こそが人生最大の目的だったように思われたのだった。 その子の身に不幸が起こってからしばらくの間は、誰も居ない家にひとりで返すのが嫌で夕飯を自室で食べさせてから送り届ける日が続いた。それを続けると今度は小さな背を静かな門の向こうに行かせるのが心底嫌になる。 結局、冷たい雨が続いた冬の日に「お前はもう俺の子だ」と抱きしめた。 ひと月が経つと親子の形も大分板に付いてきた。師とその教え子、から父と子へ。2人にとっては拍子抜けするほど簡単な事であった。 愛しい、守りたい。そんな気持ちが自然に湧き出てくる自分が不思議だったが、その不思議さにこそ見て見ぬふりを決め込むと穏やかに日々は過ぎていく。 子の名はフクと言った。 晴れた初夏の朝。 自分の着物の横に小さな着物を干していると、不意に鼻の奥がツンとした。 おれはいつの間にやら大層な幸せ者だ。命をひとつ守る事で過去が赦されるとは決して思わないけれど、出来れば長生きしてあの子の成長を見届けたい。親心だなんて、俺が持つ日が来るとはなァ。 悪党ほど血の繋がりに弱いとはどこで聞いた話だったか。血に拘らなくとも家族という意味でなら確かにあいつは俺の弱点だな。そう思う自分が可笑しかった。 感慨に浸っていると、どうも何処からか笑い声が響くようだ。そう言えば今日は客が来るんだった。 洗濯を終えて縁側に上がり、賑やかな玄関に向かう。 戸口には予想通りの姿があった。心配無用と何度も言ったのに時折菓子を持って訪ねてくるものだから、木戸先生木戸先生とフクも随分懐いてしまった。 「ヅラぁ、俺も甘やかしてくれよ」 「…馬鹿杉が。新米モンスターパパが心配で家庭訪問してやってるんだ。俺の顔が見られるだけありがたく思え」 ククッ…獣だってちゃあんと子育てするんだぜ…。誇らしいような気恥ずかしいような気分でムズムズして、懐の愛用品を探すがいくらかき回しても出てこない。 そこで思い出すのは、フクに取り上げられたまま行方不明の煙管。 また無駄な動作をしてしまった。日に3度はやっている。いや一昨日はもっと、一時間に一度はやっていた気がする。それを考えれば日に日に順応している自分が恐ろしい。 没収初日は大人気なく額に青筋を浮かべフクを追い回したがどうにも見つからない。それだって前の休日の話で、あっという間に十日も吸わない事になるから驚きだ。 フクと桂は、高杉を差置きさっさと家の中に上がってしまった。もう座敷で本やら土産やら広げて楽しんでいる。 少々面白くない気分で後を追うと「木戸先生」が猫なで声を掛けてくる。 「お父様、さっさと茶でも戴けませんかな」 妙に気取った声で呼ばれるとその都度少しイラついてしまうのもキセル断ちついでに克服したいものである。 「父様お任せください!」それ来たとばかりにフクが台所に向かう。小さな足が立てる軽い足音が、年季の入った飴色の板床に響いた。 古民家を格安で譲り受けた高杉の教場兼住処にはかつての家主の古い持ち物が多く残っている。 中でも気に入っている物が鉄瓶だ。囲炉裏の上に吊るして湯を沸かして見せたら桂が喜ぶだろうと思った。得意気に水を汲もうとするフクに鉄瓶はやはりまだ重い。危なっかしいので小さな頭に手を置き止めさせ、もてなし準備の続きを引き受ける。 台所に嵌まる小さな格子窓のすぐ先では鶯が鳴く。 湯が沸くと3人分の茶を淹れるのは桂だ。 もてなさない自分が言うのも変だが、ありがたい客人があったもんだよなと笑ってしまう。 隠居して子供たちと接するようになって初めて、高杉もそれなりに一般人の感覚を掴んだ。昔だったら桂に何かして貰う事に対しありがたみを感じた事など無くは…いや無かった。素直に感謝の気持ちを感じている今だからこそ、理解していなかったのがよく分かる。 笑顔の桂からフクに差し出された茶が嬉しい。自分に出されるよりずっとずっと嬉しいものだ。これが親の心というものか。 高杉は胡座をかいた膝の隙間に捕まえたフクを乗せ、桂はきっちり正座で、まずは茶で一服した。 教場は休日と言っても朝稽古をした後なので、フクの体力はちょうど良く落ち着いて行儀も宜しい。 「塩梅はどうだよ、ヅラ」 大人2人は、外で出来ない内緒話を始めた。今や「木戸」と姓を改め新しい世のため尽力する桂は、表の仕事で心配事があると言う。 「ふーん…こっちから動くんなら止めた方が良いと思うな、俺は。強いて言うなら、こっちに刺客を向けたくなる程度の事をしてやってだな、それを斬るってんなら俺が出てやっても良いかもなァ」 トトト…と天井裏から軽い足取りが聞こえる。 桂は口をへの字に曲げ、腕を組んで天井を見上げた。 「随分大きなネズミだな」 「あれな。ハクビシンが住み着いてんだよ」 「害獣だろう。巣を作られる前に追い出さないと困るぞ。…お前が相手取るには随分と可愛らしい獣だがな」 「…獣だね」 天井から目線を高杉に戻して桂は嬉しそうな顔をした。 「…高杉くんも獣じゃん?忘れたとは言わせんぞ」 無言。 「ごめんやっぱ無理。いま俺イクメンだから」 無言。 「…晋助ぇ?」 無言。 高杉の膝から降り、フクが土産の菓子を開けて食べ始める。 ぽりぽりと音を立てながら、訳知り顔で口を開いた。 「父様、子連れ狼は如何です。僕、危ない時はちゃんとひとりで逃げます」 「グフッ。ゲホ」 物を食べながら話すんじゃない…それどころではなかった。高杉は、無言の間に口に含んでいた茶で噎せた。 以前ならこういう時は煙管で時間稼ぎが出来ていた事に気付く。今の高杉に何よりも必要なのは間だ。ま。桂は桂で言い出しておきながら、幼い子を巻き込む可能性に少し後ろめたくなってきた。 だが「子連れ狼」とはなかなかに魅力的な言葉である。 「お前、晋助から剣術を習っているか?」 桂のテンションが上がってしまった。 とんだ家庭訪問だぜ参った参ったと口には出さずに独りごちる。確かにこいつは己が身の不幸に負けず、体は丈夫だし勤勉な子どもだ。危ない目に遭うとしても俺が側にいるのと、少なからずまたひとりの日々を味わわせるのと、どちらが非情だろうか。 答えはもちろん前者だ。そもそも問題はその前の段階にある。 「俺はやらないからな」 「でも面白そうだろう?」 茶をひと口。痛いところを突いてくる。久々に感じている高揚感。 「こいつ連れてくかどうかはまず置いてだ、それ塾閉めて何日かはそっちに行かなきゃねえだろう。嫌だぜ俺は」 「むう…」 どうにも膠着状態が続くため、昼の家庭訪問は一旦お開きになった。 3人で連れ立って裏の畑を手入れ、と言うか博識な「木戸先生」のありがたいご指導をたっぷりと賜り(晋助、苗が倒れておる!)、屋敷から少し歩いた砂浜からよく晴れた日本海をのんびり眺め、温泉に浸かった。 夕餉の準備は、高杉とフクが七輪で魚を炙り、割烹着を被った桂が汁物を作った。...

December 18, 2016

知らなくて良い

全く。お前は不規則で怠惰な生活態度をまだ続けているのか、早く寝ろ、髪がまだ濡れている、肩まで布団にきちんと入れ…。 本当に細けぇ奴。悪態をつきながらも、髪を梳いてくる細く暖かい手が心地よい。枕を胸の下に抱いてうつ伏せで読んでいた書から顔を上げると、微笑みと美しい黒髪が垂れてきた。素早く書に栞を挟んで枕元に置くと、体の向きを直してその胸の中に潜り込む。 「るせぇ」待たせやがって。 久方ぶりの停泊の合間、皆で繁華街の喧騒に紛れて楽しく飲んだ。しかし2軒目に移るタイミングで、幹部はともかく自分がいると羽目を外せない面々もいるだろうと(単純に、案外酒には弱いところを見せたくないからとも言える)、それとなく抜けて来た。 船に帰るのは明日の朝、昔馴染みと会う事は告げてある。サングラスの奥に光る、少々咎めるような目は見て見ぬふり。良いじゃねえか、お前も馴染みのひとりやふたり、居るんじゃないのか。こんなに良い夜だってのにそんな顔すんな。 港町を抜けて、坂の多いかつての花柳街へ向かう。道だかただの隙間だか、どうにも怪しい小路をいくつか曲がったところにひっそりと建つ長屋が今夜の目的地だ。 目印の番傘を入り口に見つけ、更に周囲の安全をちらりと確認してから引き戸を開けると、嗅ぎ慣れた白檀の香が漂い酷く安心した。俺や銀時のようにケムリもパチンコもしないあいつは一体何が拠り所なんだろう。ふわりと浮かんだ恥ずかしい考えに1人顔をしかめる。 とにかく、さっさと湯を浴びたい。酒場で染み付いた喧噪の匂いを落としてアホ面を待ってやろう。勝手に浴衣を引っ張り出してきて風呂の準備をする。これまた勝手に湯船になみなみと湯を溜めながら一服。 細く開けた障子の隙間から吹き込む風が、少し湿っていた。 驚いたのは仕事帰りの桂だ。よくあるお得意の奇襲攻撃だが、毎度毎度素直に驚いてしまう。 数刻前の侵入者と同じく、周囲を素早く見渡した後に引き戸を開けると浴室から灯りと湯音が漏れている。 いつもの事ながらため息とともに笑んでしまう自分に悔しさを感じながら、念のため用心して中に入ると戸口に草履と編笠。 しかしまだ油断はできぬ。帯刀したまま足音を忍ばせ浴室へ向かい静かに扉を細く開ける。と、同じくこちらを見つめる片目と目が合ってしまった。 そこでようやく互いに息を吐き、安堵と嬉しさを悟られないように、鼻で小さく笑うのだ。 ちゃぷんと湯を揺らして腕を湯船のヘリに乗せこちらに向き直る侵入者。 覗きとは悪趣味だぜズラァ。 湯に濡れた黒髪と露わになった額、上気した肌が愛らしい。そう思ってしまうのを本人に悟られないように大きな音を立ててすぐ扉を閉めた。 優雅にラッキースケベを押し付けてくるな馬鹿者。ドロボウ猫でもここまで図々しくはないぞ。全く! 扉の向こうに怒鳴りながらも自然とにやけてしまう。取り敢えず茶でもと、湯を火にかけてから浴衣に着替え、高杉の湯上りを待った。 暖かく湿って風呂から出てきた高杉の頭を大雑把に拭ってから無言で熱い茶を与える。酒の方がずっと喜ぶのは分かっているがそれはまだお預けにしておく。 高杉は大人しく口を付けたが「あちぃ」と小さく文句を言って湯のみを置いた。ますます猫みたいだ。 では俺も入ってくるからな。 湯から上がってみると偉いことに、高杉は自分で布団を敷いて書を読んでいた。もちろん寝ずに待っていて貰うつもりだったが、その姿を見るとつい幼少からの癖で母親のような言葉を吐いてしまう。 首筋、耳たぶ、目頭、最後に唇へ。 湯上りの高杉を美味しくいただく前に、こんな敵襲もあろうかと隠しておいたとっておきの酒を与えて喜ばせようかと思っていたが、そこは桂も男。 戦でも何でも、状況に応じた優先順位の見極めは至極大切な事なのだ。

December 18, 2016

蜜もほろ苦

朝食後、桂が満面の笑みで冷蔵庫から取り出したのは水羊羹だった。 丁寧に菱形に切り取られ、つやつやしている。 甘味は苦手な高杉にもそれは魅力的に見えた。 「木戸先生すごい。…コーヒーゼリー?」 確かに子には早かろう。 「いつの間に。…銀時なら飛び上がって喜ぶな」 その通り。折角来てやったんだから、それは銀さんに寄越しなさいよ。 いや飛び上がんねえけど。 垣根の向こうに潜む怪しい影に気付く家人はまだ居ない。 彼の頭髪はいくつになっても変わらない銀髪だ。 噂には聞いていたがこの目で認めてしまうとやはりショックだった。 ふうん。へえ。ガキをこねくり回すの楽しそうだなオイ、随分しっかりした坊主じゃねえか可愛くねえ。 手土産、喜ぶだろうか? 母親宜しく笑顔を向けてくる桂の気持ちを無下にも出来まい。 何より、子を隣にして人の好意を断るのも如何なものか。 高杉はいただきますと手を合わせ、粋に添えられた黒文字で小さく切り分け口にした。 「ふうん。良い味だ」 本心だった。 「良かろう、俺の料理は一級品だ」 隣の高杉の様子を伺った後、フクも真面目顔で「いただきます」と手を付ける。 「美味しい。香ばしいって言うか。黒糖ですか?」 「よく知ってるな」 「ん…昔、食べましたから」 ああ。昔、とは恐らく生父母との思い出だ。 「そうか」 何と言葉を掛けるか迷ったが、頷くだけにしておいた。 子の表情は落ち着いている。胸を撫で下ろしたのに気付かなければ良い、と高杉は願う。 桂はそんな2人の姿が愛しかった。 この屋敷を訪れた回数はまだ片手で足りるが、既に勝手知ったる、だ。 いそいそと持参の茶道具を取り出すと親子は興味津々である。 昨夜と同じく囲炉裏で沸かした湯を使い、手前を披露した。 フクが物珍しそうに桂の手元を覗き込む。 「何です?シャカシャカ!」 何が面白いのだろうか。 早い早い、と笑い転げる子を「うるせえ」とむんずと掴みそうになって、高杉は手を引っ込めた。 初めて、か。 きっと多くの物を見るのは良い事だ。 沢山見せて、笑わせて、学ばせたいと、温かい気持ちになった。 「スピードが命だ。少しでも遅いと黒い茶が出来てしまう」 生真面目な顔を崩さないものだから、桂の冗談はたちが悪い。 「…親子揃って騙せると思うな」 「えっ」 茶碗から顔を離し見上げてくるフクの肩を抱き寄せた。 「澄ました顔して此奴が一等の悪童だったんだ。俺なんぞ、毎回被害者だったんだ」 「何を言う。失礼しちゃうわ、んもう!」 父様、ひがいしゃって何でしたっけ。 聞きたいのをフクは堪えた。2人が笑顔だったからだ。 こっそり大人たちの様子を眺め、ああまただ、と思う。 木戸先生はやさしい。 偉そうに見えるけど、父様は、何だろう、木戸先生に甘えている。 『僕はいつも、2人は仲良しだなあと思っています。』 そう作文に書きかけ、止めた。 もう少しだけ僕が子供の頃にこの家の子になってたら書いただろうな。 たまに、どんな大人になりたいか、なんて聞かれるけれど子供にとっては甚だ迷惑な話。以前、友と話した。 ほんとほんと。真面目に答えたって、大人から返される言葉は大抵つまらない。 友の手前そんな風に話を合わせたが、実を言うとその妄想は楽しい。 静かな屋敷を訪ねてくる桂、それを出迎える高杉。 まず大人ってのはあまり喋らない。その癖フクが知らないうちに2人だけの秘密、決まりごとが沢山あるようで時々いらいらする。 よく喋る大人だって沢山いるが、因みにそれは女の大人同士に多い気がするが、やはりフクにとって「大人」というのは桂と高杉だった。 この家の子になってひと月も経たない頃だ。 まだただの生徒だった時分、この屋敷を訪ねて来たところを見ていたので、彼の姿は覚えていた。 結った長い髪、姿勢の良い後ろ姿。少し怖い存在だった。 目が合って頭を下げると、腕を組んだまま無言でほんの少しだけ頭を下げ返してくる。 顔を上げても無言、無表情。 おおよそ子供に対する態度ではなかった。 おお、と隣に住む怖い爺さんだって一言は返してくるのに。 あのくそ爺。 あったあった、そのへん俺も騙されたやつな。 今や胡座で居座る男も、高杉らの会話にひとり頷いていた。 それにしても。...

December 18, 2016

厄にまみれて理想郷

お前の様に剥きたてを拵えるのが出来ないから、瑞々しいものを持って行こう。 屋敷に届いた木箱を開けると、行儀良く並んだ桃の柔らかな輪郭。 二つ失敬して古紙で包み、紙袋に大切にしまって友人の家を訪ねる。 「ヅラァ!美味いもん貰った。剥いてくれ!」 廊下の奥に呼びかけると、小さな影がたすき掛けを外しつつ廊下の奥からやって来る。 「手の掛かる」 「立派な桃だぜ」 その後頭部で揺れる尻尾に触りたい。 「なあ、首や手がチクチクするんだ」 「桃の毛だな。手を洗おう」 受け取った紙袋は予想したより重かった。さぞかし立派な桃だろう。 寄り道するも思った以上の暑さに弱ったか。小さな編笠を外すと乱れた前髪と湿った額。 「暑いな」 ふふ、笑ってみせても無理しているのは分かっているぞ。ちょうど掃除も終わったところだ。 「浅く水風呂でも溜めようか」 「それだとお前が大変だ」 何だって? 「小川に行かねえか。網に入れて桃も冷やそうぜ」 そうして連れ立って家を出た。向かったのはふしぎ沼へ向かう途中の浅いせせらぎ。 よく考えると、この水は沼と繋がっているのかも知れない。方向からするに沼から流れ出ている筈だが、それだと沼には更に上流があるに違いない。 小川に水を流し続けるには、沼にだってまた水が必要だ。しかし沼はやはり沼で、何処から水が注ぎ込まれているのやら。 やっぱりふしぎ沼だ。 足を浸すと良い気持ち。 桂家から持ち出した竹籠に桃を並べる。流されない様に一抱えもある石で網を挟み、流れに浸した。 水に揺らぐ桃に、小さな妹たちの昼寝姿を覗き見る時の心地がした。 「もう冷えた?」 「せっかちを直せと何度言えば分かるんだ」 その続きは分かっていた。 「良い子にしていればもうすぐだ」 とは言えそう早く冷えるものか、と桂は思っていた。ああほら、良い着物が。 「脱いでしまえ。また喧嘩かと叱られるぞ」 不満そうだったが、自分の足元を見下ろしてから納得したようで、高杉は水から上がった。 「お前だけだから、泳いでも良いよな」 止めてもどうせ飛び込む気だろう。 桂は腕組みをして笑って見せた。 可愛らしい褌一丁になると、まだ夏も初めだからその肌は白いまま。 何故かサワガニの身を思い出して、桂はむしゃぶりつきたくなった。 「お前、それが濡れたらどうやって帰るんだ」 ノーパン、いやノーフンか。 呆れていると「冷えてるぜ!」と嬉しそうな声。 いや俺は。 言いかけるも、不服そうな顔に気付き口を噤んだ。 「よし」 こちらがぼんやりしている内に、褌も解いてしまった姿に少々面食らう。 「少しだけ、良いだろ」 歯を見せて笑い一度こちらを振り返ると、素っ裸で小川の流れに逆らいざぶざぶ進んで行く。 「間抜けな格好で。虫に刺されるぞ」 如何にも心配する兄貴分の声を出してみたが、本当は困るのだ。 その体に自分の素肌を寄り添わせ、撫でてみたいような気持ちになるから。 しかし「痛って、小石」等と呟きながら大股で歩く姿を見ると追わずに居られない。 せせらぎの音を聞くよりも、草の香りをおぼえた時に何故か、如何にも水が気持ち良さそうに感じた。 「待てと言うに」 言いながら自分も袴と着物を脱ぐ。濡れるだろうかと躊躇したが、屋敷に帰ったら洗って干せば良いだけなのだ。 やはり俺は晋助ほど自由にはなれないな。 ひとり苦笑し、桂は褌だけ残して水に入った。 こうして子供達がよく遊ぶので、小川のへりには丁度良く段々が出来ている。 草が踏み倒されて絨毯みたいだ、と桂は思っていた。 石垣にぽつぽつ並ぶどくだみの白い花が爽やかだ。 水に入るまでが、草花の生気と小川から蒸発する水で暑く感じた。 船を抜けるのに手間取ってしまった。 若い奴らに任せた結果、今夜は慣れない舶来ものを食わされたのだ。 脂ぎっていて旨くも何とも無い、と思ったが万斉とまた子が嬉しそうで文句も言えず。 既の所で口の中のさまざまを飲み込んだ。 外に出たら出たで今度はキセルの葉を忘れたことに気付く。 我慢出来ずにタバコを吸ってしまって、ちょっとした厄日だ。 キセルはまだ許すがタバコは好かん。そう言われているのだ。 さっさと風呂で匂いを落とそうか。いや出迎えも捨てがたい。 悩むのも馬鹿らしくなり、そうして高杉は縁側で静かに往来の声を聞いていた。 待ちぼうけに文句が幾つか溜まる頃。 月明かりから身を隠すようにして、裏庭の茂みをがさごそ言わせながら待ち人がやっと現れた。...

December 14, 2016

僕の、怖い方の

昨夜遅くに帰ってきた銀さんが泥だらけだったのはびっくりした。 血を出すような怪我はしていなかったからもう一安心してしまって、この位なら慣れっこの僕は適当に迎え入れた訳だ。 「もう。びっくりするじゃないですか、大丈夫ですか」 僕も神楽ちゃんも待っていたのだ。3人で毎週欠かさず観ている深夜のバラエティ番組、好き勝手な銀さんの適当な文句もとい笑えるコメント。 ささやかな楽しみだった。 始まるまであと1時間。銀さんの帰りが間に合って良かった。 「お風呂まだ温かいと思いますよ」 「ナイスぱっつぁん」 とんとん、足踏みしてブーツの泥を落としてから敷居をまたぐ気配。 「それにしても、何があったんですか」 言いながら振り向いた僕は、恐ろしい光景を目にしてしまった。 「たっ、たたた高っ」 「高杉さん、で良いんじゃない」 振り返った銀さんに促され、その人も、ああ、入って来てしまった。 「お邪魔します」 はあ。とさえ言える訳がなく、僕は口をぱくぱくさせるだけだ。 なんで。 「なんで?」 僕の言葉を代弁してくれたのは神楽ちゃんだった。 殺気は出さずとも唇を尖らせている。そうだ、これは神楽ちゃんじゃないと効果が無い。 「本当はいつも、いや大昔から、お前らの社長さんには世話になってるんだ。今夜は妙な真似はしねえさ」 静かな言葉を放つその人の笑顔は意外な程に優しかった。笑顔、と認めるにはとても控えめだったけれど。 それに絆された僕はもう何だかどうでも良いかと、迎え入れてしまった。 高杉さんも草履の泥を落として玄関に入って来る。とすとす、今度は少し軽い音。 「悪いが、俺も、借りる」 短く呟くと、その人は銀さんの後を追ってお風呂に向かった。 かたん、と引き戸が音を立て、2人が脱衣所に吸い込まれてしまうと一気に力が抜けた。 「新八ィ、やっぱり、もうこたつ欲しいネ」 背後に感じるささやかな重みと体温。実際この存在に何度救われたことか。 「そうだね…。高杉さんに聞いてみよっか?」 「頼んでみても良い?」 頼めるもんならだけど。でもちょっと…流石に今夜は2人で見ちゃおっか。 神楽ちゃんの背中を押して応接室に移動。内心、僕の胸はばくばくだった。 そろそろ、寒い寒いと言いながら3人で押し合いへし合い入るあれが恋しい季節だ。 「そろそろじゃね?」 「何がです」 「あれだよあれ、万事屋の結束を高める為に、寒い時期に必要不可欠な高機能リラクゼーションマシーン的な」 はっとして可愛い笑顔で飛びついてくる神楽ちゃん。 「新八ィ!」 僕う? 「まだ早いです」 僕だって面倒くさいもの。 そんなやり取りを数回繰り返し、妥協案として先週から古い毛布を引っ張り出してそれぞれくるまったりひざ掛けにしたりして誤魔化していたが流石にねえ。 テレビを点け、2人並んでソファに座る。 「新八近いアル」 気にしなくて良いの。僕は大切なウチの箱入り娘が心配なだけです。 間も無く見慣れた予告カットが入る。今週のお題も良いセンスだ。 本当はめちゃくちゃ怖い。万事屋も明日から過激派な、と銀さんが言いだしたらどうしよう。死活問題だ。 実際僕なんかよりずっと強いんだから問題無い筈だけど、それでも神楽ちゃんが連れて行かれるかもと考えると、凄く凄く嫌な気分だ。 「新八ィ、大丈夫?」 気付くと僕は、小さな肩を抱き寄せて震えていた。 「怖い事なんて、しねえよ」 「っギャアアアア!」 ぜえ、はあ。 僕の肺がまともに酸素を取り込めるまで暫く掛かった。 恐る恐る後ろに首を回すと、困った顔の高杉、さん、と、一歩下がった位置で両手を口に当ててこれ以上ない程に腹立たしい顔で笑いを堪えている銀さん。 銀さんはいつもの甚平で、高杉さんは見慣れた白地に渦巻き柄の着流しを着ていた。銀さんが貸してあげたのか。 って普通に仲良いじゃないか。こいつら、この、くそオヤジども! したくないけど理解してあげようと思った。僕が大人にならなきゃダメなんだ。 神楽ちゃんは僕が守らなきゃ。 「こたつ、出してくれるアルか?」 一瞬耳を疑った。夜兎の血は伊達じゃない。きっと僕には一生真似できない大技だ。 神楽ちゃんの言葉に、高杉さんはちょっとだけおかしそうな顔をした。 「…そうだ、銀時に言われて手伝いに来たんだよ」 その返事も大概おかしい。 「そうなの?」 あっ、危ないのに。 するりと僕の腕から抜け出す神楽ちゃん。もう泣きたい。 「流石にちと早いとは思うがな」 「甘やかさなくて良いよ、超面倒じゃん」...

November 23, 2016