おくすりだせたね
今夜は底冷えする。 開口一番、はやく暖めろと強請るつもりだ。 星がやけに瞬くお陰で空気が冷たいと思いながら、歩いた。 小屋、と呼ぶ度に訂正させられる長屋の一部屋。 家主在宅の目印にほっと一息ついてから引き戸を開けた。が、室内の灯りは奥で大きな蝋燭が一本揺らめくのみ。 妙だ。淀んだ空気が充満している。 目が慣れてくると、壁際に敷かれた布団にヒト一人分の膨らみがあると分かった。 その枕元に大きな影が覆い被さっている。 不穏な光景に目が釘付けになり、金縛りにあったかのように動けなかった。 ゆっくり、影が向きを変える。 暗闇に浮かび上がる二つの紅い光。 ここで起こった出来事について、何通りかの予想が脳内を駆け巡る。どれもが悲劇の類だ。 戸口からじりじり退き抜刀、する直前に紅い光は小さな長方形で隠れた。 光を遮ったのは、見慣れたプラカードだった。 『もちつけ』 『でーじょぶ』 『いらっしゃい』 そこに書かれた内容を理解するまで更に時間を要した。 高杉が突っ立っている間、数秒ごとにプラカードは反転し、文字列はローテーションを続けた。 「…よォ」 敷居を跨ぎからからと引き戸を閉めると、中は暑いくらいだ。 蝋燭と思ったそれは、古びた石油ストーブの炎だった。大切に隠しておいたか拾ったか。おそらく後者だ。 その天板で、ヤカンが小さくかたかた鳴っている。 実はまだ、心音が煩い。 「それ、ヅラか」 『YES』『どうぞこちらへ』 「斬られたのか」 『ちょっと病気中』 「珍しいな」 『大丈夫』『ずいぶん良くなりました』 「……あん、ん、エホン」 「お」 『ボスが!』『シャベッタアアア』 「ちょうど良いところに…ゴホ」 影改めエリザベスの隣に腰を下ろすと、布団に横たわるヒト改め部屋の主は高杉の姿を認め、目だけで薄っすら笑った。 鼻筋は赤く、瞳は潤み、目元に浮かぶ隈が憐れさを誘う。 見惚れる儚さだった。 『ごめんなさいね』『今日は小太郎ちゃん』『遊べないのよォ』 「クク…此奴が寝込むのは初めて見たぜ」 「流石にな、コンコン、ちょっと、参った」 もぞもぞと布団から差し出される手をそっと握ってやると、緩慢な動作で頬に導かれた。 確かに手も頬も熱い。額にかかる細い毛を、反対の手で払ってやった。 「本当に悪いみてえだ」 「ああ高杉。今日もイイ男だ…案ずるな、可愛いお前を残してなど、」 『桂さんんん!』 「おお高杉、でも」 「な、なんだ」 「万が一のことがあったら、俺たちのエリを、頼む。ごほ」 『置いてかないでェェェ』 「ヅラ…?」 「…かすぎ……」 「ヅラ」 「……」 『ドッキリ』『大成功!』 「早い!エリザベス、ちょおーっと、早い!、ッうェエホ!エホ!」 「……フン」 気恥ずかしくなり、熱い頬と手の隙間から自分の手を引き抜いた。 「テメエんとこ、医者いなかったか?」 「カンボウさんには、診てもらったさ」 「風邪か」 「インフレ、ゲホ、ベンザらしい」 『ベンザ』 「ル、エン、ザ?」 プラカードの誤字を指摘してやったのだが、エリザベスはぶんぶんと首を振った。 「そんな俗なウイルスになど俺が負けるものか。ふ、ッゲホ、ン、ウン!」 『顕微鏡で見ると』『トイレの形してる』『ウイルス』 「因みに洋式の方な」 「お前ら…」 ウイルス無敗伝説の幕切れとは、そうまでして認めたくないものか。 馬鹿らしくなってきたが、この手で触れた熱を考えると強くも言えない。...