いつかきっとミード
館内は噂に違わず曲がりくねり、何処に続くか分からない。 所々に灯る電気は暗めのオレンジ色。まるで物語の世界だ。 しかし雰囲気作りに忠実か、単に予算不足なのか。一向に判別不能な宿とも言えた。 そう若くなくても構わない、むしろ大女将みたいな、笑顔の優しい仲居さん。銀時はイメージを大いに膨らませ期待していたが、部屋に通してくれたのは話し好きのおじさんだった。 まあこれはこれで。 「坊っちゃん達は学生さんかい。仲良しなんだねえ」 一瞬どきりとしたが、言葉に含みは無いようだ。星の数ほどに様々な形の幸せを出迎えては見送ってきたのだろう、落ち着いた思い遣りに感じた。 「あんた達ね、運が良いよ。明日になると外国のお客さんが沢山来て随分と賑やかになっちゃうからね。 ゆっくり、2人で格好つけて文豪の先生ごっこでもすると良いやね。 ほら窓開けてご覧なさい、良い部屋でしょう」 言われて窓に駆け寄る。 「魔法瓶にお湯が入ってますよ。ではごゆっくり」 思わず息を呑む銀時と高杉に自慢げな笑顔を向けると、おじさんは部屋を出て行った。 中庭に面した部屋は2人で泊まるには広すぎて勿体無いくらいだった。 山が近いと夕暮れが早い。もう空はうす紫をしていた。 よく手入れされた木々をぼんやり照らす、客室からのまばらな漏れ灯。 敷地内は起伏が激しい土地で、一帯には凸凹と怪しい影が折り重なっている。迷宮に迷い込んだみたいで少年心を大いに擽られた。 灯りを写す池の水がとろりと蜂蜜みたいに煌めき、うっとりするほど良いものに見えた。 「銀時」 名を呼ばれ、長いこと息を呑んで景色に見とれていたのに気付く。 「ラブラブバスターイム?」 うきうきと銀時が振り向くと、高杉はもう浴衣に着替え、半纏を羽織るところだった。 風呂に辿り着くまでにどうしても好奇心が勝ってしまう。寄り道するとまさに不思議のダンジョンだ。 古いビロード張りの赤絨毯を辿る。好奇心のままに階段を登り続けたら、終いには恐らくだが一等室に着いてしまった。 旧家の立派な日本家屋のような引き戸。瓦の出っ張り屋根まで付いて、違う建物に着いてしまったかと思うが、そこはまだ屋内だった。 表札まであるのに、と顔を見合わせながら文字を読むと「松の間」。 さてはお化…、と中から聞こえる客の笑い声の正体を勘繰ってしまう銀時だった。 「晋助、マイシャンとか持って来ないの?」 「…そこまで傍若無人じゃねえよ。あと俺ピースだから」 「あん?…マイセンじゃなくて、シャンプーのこと。つかそうだっけ。じゃなくて、お泊りセット的な」 「ぶ、女子力高い」 「おおおお前こそ!なんで?何で?何で適当にやってるのにそんな綺麗なの?」 「適当って訳じゃねえよ、健康なんだよ。芯が真っ直ぐだから」 「失礼しちゃう。…お、超立派」 充てがわれた部屋から風呂に辿り着くまで、15分も掛かっていた。 「広っ」 「おっぴろげだ」 脱衣所から藍染めの暖簾をくぐるといきなりの露天風呂だった。やはりと言うか、薄暗い。 敷地内には浴場が3つもあるらしく、その全てを制覇するのは今回の旅のミッションに数えられていた。 探検する内に普通の汗と冷や汗とどちらもかいた肌は少々驚いた。 終わりとは言えまだ半袖の季節だと言うのに夜風が冷たい。 寒い寒いと騒ぎながら超特急で身体を洗って湯船に入ると今度は湯が物凄く熱かった。 「熱う!なにこれ死ぬほど煮えたぎってない?」 「大げさ…っ、う」 天国と喜び飛び込んだ銀時だったので受けたダメージも絶大だ。 彼に比べると冷静に、それでも常よりは慌てた様子で湯に浸かった高杉も然り。 「っつぅぅ」 揃って思わず無言になる。 我慢比べが始まるかとも思われたが、本当にそれどころではなかった。 「ここここれは非常にマズイ」 「マズイな。10秒だけ数えよう」 そんな。 前屈みで固まる銀時をよそに、静かに肩まで浸かってしまう高杉。 いよいよ逃げられず、銀時も意を決して沈んだ。 「ぷ、ぷしゅー、ぐお、ふしゅうう」 「うるさい」 もはやカウントダウンもクソも無い。口を動かしていないと何処かに召されてしまいそうだった。 あれ、でも慣れてきた?気持ち良いかも。 肩の力を抜いたところでざあっと風が吹き、竹が大きく揺れる。 やはり洗い場の控え目な光だけでは心許ない。 暗くてよく分からないが、湯船が面する岩肌は高くそびえ立っているようだ。 見上げた先に何かがいたらどうしよう。例えば光る目。火の玉。余計な事を考えてしまい、銀時は湯に沈み直した。 「よし」 高杉の声に目を開けると、身体が良い具合に温まっていた。 両手で湯を掬い、顔と耳に掛けると気持ち良い。しょっぱい湯だ。 「お先に」 湯船からさっさと脱出する高杉は、その途中で銀時に向けて湯を跳ね上げるのを忘れなかった。 不意に掛けられるとやはり熱い。 「っ熱ゥゥゥ!バカヤロ!あっ、待って、俺もう無理かも、あっ、無理!」 「浴衣って良いもんだね。この分け目?が好き」...