茶屋で武市変平太と遭遇したときは、内心ひやひやした。
結果あちらは赤子を得て、桂は記憶喪失の少年を連れ帰った。
少年は、枯れ草の茂みに蹲っていた。
その姿形は十かそこらの頃の彼そのものではあったが、不思議と、まっさらで美しい未知の生き物に見えた。
「大丈夫か、生きてるか童」
「ん…」
「怪我は。ないか。…貴様は善良なただの迷子か?」
「おれ?おれは……。俺は、なんだろう」
瞬間、胸に湧き上がった使命感、喜び、高揚感、自分でもよく分からないが熱くて仕方ない妙な諸々に突き動かされ、桂は少年を抱き締めていた。
唐突にも「養子に来い」と詰め寄る長髪の男を前に少年は勿論困惑したが、それはそうだろう、自身が何者かも朧気な幼い身では他に為す術もないらしく、ためらいがちにも桂の背に手を回した。
「あの。あなたの」
「あっハイ」
遠慮がちな声に、桂は緊張した。彼の一挙手一投足はいちいち刺さる。
身元に関しても心当たりがないと困惑する少年は、その割に礼儀正しい振る舞いをする子どもだった。
「…貴方のことは何とお呼びすれば良いでしょうか」
「んんッ」
「……すみません、お加減が優れませんか」
「ハァッ、ハァッ、貴様…ブハァッ!すまんあまりの尊さに取り乱してしまった、俺はこの通りどこも悪くないぞハハッ」
桂さん?…小太郎くん?…いやせっかくだからおかあ…ッフ。んんっ、おほん。
「お世話になるなら必要かと」
「と、取り敢えず一ヶ月ほど時間をくれ。熟考する」
「あの、何か気に障ることがあったでしょうか」
「それは断じて違う!良いか、お前が気にするようなことは何もない。分かったな」
「…。呼び方を決めるのに、ひと月も必要ですか」
「当たり前だ!」
思わず大きな声が出る。少年が怯む素振りを見せるのと、桂の両手が少年を捉えて腕の中に閉じ込めるのはほとんど同時になった。
「ぐ!」
「俺は、…俺はな。…っか、かわいいいすぎるうぅぅ…」
「ぐえ。カワイ…?」
「桂先生」
「んふッ」
桂の実名はカワイスグル、との誤解を解くためにも一旦彼の提案通りに呼ばせることで落ち着いたが、未だ慣れない。
数日間、少年にはのんびり過ごさせた。
部屋の本を手に取ってみたり、近所を散歩したり。時には桂の「仕事」を覗き込んでもきた。
しかし自身の身の上については、ほとんど思い出せないままだった。
桂は、次第に「これはこれで」とほくそ笑むようになっていた。
もしも。この少年が完全なる他人の空似だったら?
この子は可愛い。聡明だ。大事に育てていずれは。あわよくばだが、恐らく俺の後継者としてこの国を背負って立つに相応しい。そうはならなくとも愛おしい。俺より先に死ぬのは許さん。
もし、この少年がアレの子株か何かだったら?
この子は可愛い。アレはアレで可愛かったが憎たらしさも有り余るほどだったので、二の舞にはならぬよう気をつけよう。大事に育てて以下略。
もし、この少年がアレに関係あったりなかったり。それはどちらでも良いとして。
アレがどこかで生きていたら良いのに。
それはもう最高のトゥルーエンドであるからして、奴をとっ捕まえてきて共に穏やかに暮らせば良かろう。それはそうとしてこの子は可愛い以下略。
うん、それはそれで。
「先生」
どれもこれも、俺はなかなかに幸せ者ではないか。
「桂先生、聞けよ!」
「………グス。な、なあに?」
「明日の、有料おんらいんさろん生配信とやらの準備はもう完璧なのですか?」
「ん。えっと、まあそんな感じだな」
「先生、」
少年の指先がこちらに伸びてくる。
「悲しいことがありましたか」
間近に迫る少年の瞳から目を離せない中で、桂は初めて気付いた。自分の頬には涙が伝っていた。
「…うん。今、その。イメトレをしていたんだ。それがな、っグス、マサカリ飛んできたら嫌だなぁとか、解像度が凄すぎて。さすが俺」
「休憩しましょう。茶を淹れます」
「…ああ、頼む」
頼まれごとが嫌でもないのか、少年は嬉々として立ち上がるように見えた。
「晋助」
桂は呼びかけた。字は分からないが音は確実だと思う、と教えてくれた唯一の情報、彼が「何となく覚えている誰かの名」を、勝手に脳内変換している。その字で、彼を呼んでしまっている。
「?はい」
「一服したら、リハに付き合ってくれ」
「リハ?」
「リハーサルだ。知ってる?」
「はぁ。知ってますよ。俺なんかで良ければな」
少年の態度は、順調にくだけてゆく。
まずい。
これではいつか煙管とか酒とか、悪いものを覚えてしまうのでは。妙な呼び名で俺を呼ぶようになるんじゃないか?いかん。非常にまずい。
「桂先生」
(ヅラ、)
「リハより、今日はもう休んだほうが良い。な?」
(今日は帰って寝ろよ。仲直り?とっくにな。嘘じゃねえ、証拠に、後で銀時と何か届けに行くからよ)
生意気にも優しい声で諭してくる少年は、もう一人の友を得た頃の馬鹿に、よく似ている。