「今の俺、最高に輝いてる…」
その日、桂小太郎は充実感の自己更新記録を達成した。
場所はかぶき町の端に新しくできた喫茶店。
服装は、生地はもちろん小物に至るまできっちり季節物で揃えた和装ないし女装。
化粧で普段より重くなった睫を瞬かせ注文したメニューが供されるのを待つ時間は、想像以上に良いものだった。
開いてしまう脚を数分おきに閉じる。背筋を正す。
刀を携えるのとは勝手が違うが、なるほどこれはこれで普段とは違う場所が鍛えられる、と桂は一人うんうんと納得もした。
「…じょそうかな」
「…せいだと思うよ」
妙な視線を感じ振り返ると、斜め後ろの席に座る妙齢の女子二人組と目が合った。
数秒しげしげと観察するも真選組の関係者には見えない。
各人の前に鎮座する彩り鮮やかなクリームソーダも相まってシロ。そう桂は結論づけた。
「…うむ」
きみたちも俺と同じで、可愛くて美味しい時間を求めやってきたのだな。
桂は笑顔を作って見せ、自分のテーブルにさっと向き直った。
「お待たせいたしました、あんこもちと玉露セットでございます」
「あっ、ハイ！（桂裏声）」
上品な甘みに感嘆しながら何気なく窓の外に目を向けた桂は、口内のものを吹き出しそうになった。
そう簡単に言い切ってしまうのには些か語弊がある。
まず、何気なく窓の外に目を向けた桂は見覚えのある姿を認め驚いた。
高杉晋助が建物の影に佇んでいる。
「アレ…？」
次に、まさかそんなと再度見遣った。確かに穏やかな昼下がりの市井においてはどことなく不穏な様子の男が、居るには居る。
最後によく目を凝らすと、それはやはり、また少し痩せたように見える幼馴染だった。
「お客様？」
桂は箸を置き、外に飛び出した。
「お客様！？食い逃げじゃないですよね！？」
「アッ…っと」
「食い逃げだ！」とか「食い逃げされた！アイツだー！」と背後から怒鳴られた経験はあるが、「…じゃないですよね？」は初体験だ。
そこで桂は今の自分の姿を思い出し、その場で足踏みをしながら応えた。
「友達があっちに。すぐ戻りますわね！（桂裏声）」
桂が店を出ると共に、高杉のように見える人物も歩き出していた。
彼に追い付き首根を掴んで振り向かせれば、当然だが鋭い目を向けられた。
それはやはり、高杉だった。
変な話だが、こうして久々に顔を合わせてみれば涼しげな目元なんかが綺麗だとしみじみ思う。頬も滑らかだ。念入りな化粧もしない癖に不思議なものだ。
「あ。マジだ」
「……！？」
「息災か」
「ヅラ、か…！？」
「ヅラじゃない、桂だ」
「……ヅラか…！」
白昼堂々と仕掛けてきた相手の顔を認めた高杉は、明らかに混乱していた。
それを良いことに桂はさっさと彼を引き摺り店に戻った。
苦笑いで、それでも「おかえりなさい」と声を掛けてくれるお姉さんに「こやつがね」「ごめんなさいねウフフ」とジェスチャーを送った。
「こやつ」は自分の向かいの席に座らせた。
これ以上目立つ行動よりは、と観念したらしく高杉は大人しかった。
懐を探りかけてはその手を止めこちらを睨む。俯く。また懐を探ろうとして、止める。
いけません、と桂は首を横に振った。
この素敵な店では灰皿など用意されるはずもなく、煙管なんてもってのほかである。
「テメェ、何のつもりだ…？」
「安心しろ、お前を売る気などない。誰かさんと違ってな」
「言うじゃねェか」
「今日は完全オフでな」
「嘘だろう？分からねェな、何故俺をここに」
居心地が悪くて仕方なかろうに凄んでくる姿は健気にも感じられる。
それにしても、以前会ったときと同様に紅紫の着物、しかも男物であればやや目立つ。
「さあ。何故だろうな…。ノリだ、ノリ。あ、ちょっと待ってね」
がま口バッグを漁ると緊急用の伊達眼鏡があった。「あったあった」おあつらえ向きにも少し色が入っている。自分のチョイスを褒めたい。
「お前に、これを」
「ハッ、誰がテメェの」
「ほう。俺が今オフだと、本当に思うか？」
これ見よがしに店内を顎でぐるりと示して見せる。
実際完全にオフなのだが、このように気合いの入った格好をしている以上オンとも言えるのではないか。いや、そもそも俺のオンとはいつだ？いつでもカモオオオンだ
「お客様」…ぞ。
「…っ！」
すまなさそうに声を掛けてきたのは、先ほどのお姉さんだった。
仕組んでやがったかてめェ、などと言い出しそうな目で高杉が腰を浮かせる。
「あの、お客様」
「俺は行くぜヅラ」こちらへ身を乗り出し、不適な笑みで別れを告げてくる。桂は顔が赤らむのを自覚した。
「たかすぎ顔ちかい…」
「お一人様一品はご注文いただいてますので…」
高杉は腰を下ろし、桂は横を向き咳払いをした。
運ばれてきたハーブティーを一口啜った高杉は、難しい顔になった。包帯を取り伊達眼鏡を掛けさせてしまえばそこそこ普通に見えなくもない。
よく確認もせずメニュー上を指差したように見えたが、やはり失敗だったらしい。
その渋い表情を上目遣いで観察しながら、桂は皿の残りをぱくりとやった。
「案外似合うではないか」
「……」
「して高杉よ。俺は出る前に化粧を直してきたい」
「好きにしろ」
「その隙に逃げるなよ。その薬湯も、まさか残すまいな」
「薬湯？…ハッ」
「よし決めた。貴様はこのあとヅラ子さんとデートの予定だ」
「逃げるだろ。……なァ、お前昔から、そういう奴だったのか？」
「ん？」
「そのナリは一体何だ」
「ふっ。いやなに、似合うだろう」
「は…？」
「似合うだろうかと思っただけだ。ところで、その。因みに、どうだ…？」
「フン、…まァ」
「え？聞こえないです」
「うるせえ。…分かった、行くか。但し妙な真似してみろ、容赦しねェ」
「そうか！言ったな高杉！アッハハ…」
「おいヅラ」
「あの、お客様！」
「おほん、あらやだごめんあそばせ（桂裏声）」
パトカーとすれ違いもしたが、運転する若い隊士はおろか後部座席で仏頂面を見せていた鬼の副長ともども、こちらには何の反応も示さなかった。
「単なる職務怠慢か、はてさて俺が美しすぎるからか」
「たまにお前を尊敬しちまいそうになる」
「正直どう思う？」
「…安心しろ、言われなきゃ俺も分からなかったろうな」
「ふふ！そういうお前も男前だぞ！」
バス内に関わらず声が大きくなってしまう桂の袖を、無言で高杉が引く。
前の席に座る老婦人は苦笑していた。
そうして電車とバスを使い、連れ立って移動した末の到着地は動物園だった。
「俺が行きたいところで構わんのだな？」
「…あァ」
そんな風に桂としては道中できっちり言質を取ったつもりだった。だが、いざ入場ゲートに立ってみると高杉は控えめに言って顔面蒼白になった。
人並みに申し訳なさも感じ、桂は彼の手を取った。
「ここではお前も物騒なことも考えられまい？攘夷志士にだって気分転換は必要さ」
「ここに来たかったのか…」
「うん。エリザベスともチャレンジしたが、ちびっ子諸君に絡まれすぎてダメだった。即退散さ」
「お前な、ガキの頃ならまだしも」
「待て、見てみろ高杉。童でなくとも仲睦まじい大人たちだって結構いるんだぞ」
桂はチケット売り場を指差して見せた。カップル、友人同士であろうはしゃぐグループ、写生道具を携える平均年齢高めのグループ。
「な？今の俺たちなら何もおかしいことはない。ちょっと「彼氏」が小さいか。ハハ、昨今はそんなこともままある。さあ行くぞ！」
高杉から僅かに不機嫌さを感じ取ったものの、浮かれる桂には原因がよく分からなかった。
ともあれ無事チケット売り場へと共に歩めたので、すぐ忘れた。
「ああ、最高だ。貴様は白っぽいふわふわだから…ぎんちゃんかな？」
「その子、本当はヨウちゃんって言うんですよ」
桂は、念願の「ふれあいコーナー」で兎を膝に乗せ幸せを噛み締めた。
「行こう高杉」「きっとお前もメロメロだ」「あそこに幸せ以外の何があると言うんだ？」
散々口説いたものの、高杉は頑としてベンチから動かなかった。その代わりと言ってはなんだがスタッフのお兄さんは親切だ。
少し離れた場所にあるベンチに腰掛ける高杉に手を振ると、億劫そうながら振り返してくれる。
何だか堪らなくなって仮名ぎんちゃんを強く抱き締めると、逃げられてしまった。
「あ…」
「ありゃ。こっちのディー氏なんかは、でーんとしてて良いですよ」
お兄さんが新たに連れてきてくれた茶色い兎は、ぼさぼさぎみの長毛が少し気になるが全くといって良いほど物怖じしない性格だった。
「何と。坂本まで…！？」
「あはは、この子はディー氏って言います。…お連れ様は見学ですか？」
「ああ、残念ながらな。…でも俺は今十分幸せかもしれない」
桂の口調にお兄さんは一瞬怪訝な表情をしたものの、じゃあ時間までたくさん仲良くしてあげてくださいね、とにこやかに他の客の元へと移っていった。
桂は暫く、うっとりと膝上の存在を撫で続けた。暖かい。しっとり重い。柔らかい。
時折僅かにポジションを変えたりごそごそと毛繕いでもしている様子だったが、最後まで桂の膝上にいてくれた。
「はぁい皆さーん、残念ながらお時間がやってきてしまいましたぁ…」
ざわめく周囲の様子に合わせ、仮名さかもとが身動ぐ。
あっという間だなと名残惜しく思いながら向こうのベンチを見ると、高杉は何か長いものを頬張っていた。
「フランクフルトか…」
売店で買ってきたのだろうか。案外大口で齧り付いている。
彼奴は薬湯だけだったから確かに小腹が減る時間かもしれないなどと思っていると、首を傾げた彼と目が合った。
あ、ぐ…。高杉は頬張り掛けていたものから口を離した。
何だ終わったかこっち来いよ。片手をひらひらさせる彼から、そんな言葉が垣間見えた。
「ウッ…！？」
「あれっお姉さん大丈夫ですか？噛まれたりしましたか？」
「大事ないアリガトっ（桂裏声）」
仮名さかもとを放してやり、桂は己の下半身の異変に狼狽えながら前屈みの姿勢でふれあいコーナーを後にした。
「もうそんな時間か」
喫煙場から戻った高杉を出迎える頃には閉園を告げるアナウンスと共にお決まりのメロディーが流れ始め、空を見上げればあかね雲が広がっていた。
「じゃあな、ヅラ。今日のはでかい貸しにしといてやらァ」
「もう行くのか」
「満足だろ」
「……腹は減らないか？」
「まァな。適当にやるさ」
「…いやだ」
「ハハ。少しは楽しめたぜ、ヅ」
「何で置いてくの！？これきりで終わりだって言うの！！？」
高杉はたじろいだ。
あらあら。側を通り過ぎていく家族連れ、その構成員のうち母親がとりわけ生暖かい目を向けてきた。
指の隙間から覗うと、高杉の草履からは去る気配が見られない。
もう一押し。確執とかなんとかはこの馬鹿が勝手にやっていただけだ。だが反抗期も終わりだろう？
顔を両手で覆う桂は、しめしめと内心ほくそ笑んだ。
「かわいそうだね…」
そこに被せてくる、近くを通り過ぎる少年の声が心強いことこの上ない。
「高杉、お前という奴は。久しぶりなのに。今度はどこへ行くと言うのだ…」…まだ弱いだろうか。
「うう、たかすぎぃ…」
今日分かった。結局、俺はお前と仲良くやりたい。
「あー、泣いちゃったのー」
「あはは、ごはんつくってもらったらげんきでるねー」
続けてまた他の家族連れ、今度は姉妹の声だった。
はああ。
重いため息のあと、高杉は存外優しい声で言った。
「やめろ馬鹿、分かった。夕飯一緒に食うか」
「相分かった！」
「な、おま…！？」
絶句する男の手を取り、彼の気が変わらないうちにと桂は夕陽に向かい走った。