各地ときおり弱い雨
見事なあかね雲だった。
通り雨があったらしいが、銀時は室内仕事のお陰で一切合切免れた。
それはそれは皆様大変でしたね。
みちみち纏わりついてくる土やアスファルトの湿った臭いに、一人納得してみたりした。
万事屋に帰宅すると、ささやかな異常事態が発生していた。
玄関に入ってすぐ、水溜り。
一つめだけ大きくて、あとは小さくなりながら点々と室内へ続く。
「…妖怪アメフラシめ。どこのドイツ人だコラァ!」
ぶつくさ呟きながらブーツを脱ぎ、水を辿った。
ざあざあ水音が聞こえてくる。石鹸の香りと湯気までほんのり漏れている。
そうっと、浴室の戸を数センチばかり開けてみる。
「…えっ」
びしょ濡れオプションも一応覚悟していたのだが、脱ぎ散らかされたチャイナ服は見当たらない。
その代わり、脱衣かごには濃紫の着物が詰め込まれていた。
抜き足差し足、玄関に戻る。
「ったくよお、馬鹿野郎が」常備してある雑巾を足の指でなんとか摘み、大雑把に拭いておく。
無闇に屈んだりすると侍は溶けて消えてしまう魔法の国の生物なので許して欲しい。
見慣れた番傘、無し。小さなカンフーシューズも。
戸から差し込む夕焼けに反射する、はじまりの水溜り。
それを辿ると、確かに行儀よく揃えられた草履が鎮座している。
水音が止むのを見計らい再度浴室を覗くと、ちょうど闖入者と鉢合わせた。
今際まで疑っていたが、実際ビンゴとなると照れくさい。
濡れた身体は窓から差し込む夕陽に染まって、美味しそうだ。
やっと、ぼんやり思い出す。ああ、チャイナ服なんて、暫く帰って来ないんだった。
「な。…わ」
「おま、マジでか」
「るい、急いでてなァ」
ぐいぐい、ぴしゃり。
あれよあれよと銀時は浴室から閉め出された。自分の家なのに。
相手の言葉の大半は、戸を挟んで聞いた。
押された肩を指で突付いてみる。濡れただろうがよ。
免れた筈の雨。銀時は、頭を掻いた。
何となく、入れ替わりで銀時も湯を使った。
折角なので布団も敷いてみた。
「やる気でねえの?」
「んな訳じゃねえ。いいから。銀時、もっと開け」
今日の高杉は変だ。どこか焦っているように見える。
「一時間」
「へ?」
突拍子もない言動は珍しい。昔から、そういった役割は彼のものではなかったのだ。
「それで済ますぜ。風呂も込みだな」
「なんで」
「急ぎだ」
「ヤバイ約束あるってんなら、いくらでも引き止めますが」
「んなんじゃねえがな」
言うが先か、人の着物を寛げてきた。
そうして今に至る。
疼いちゃったの、寂しかったとか、セクハラされた、?
幾つか尋ねてみたが、有効な手掛かりは得られなかった。
そのうち自分でも何を知りたいのか分からなくなってきて、聞くこと自体も止めてしまった。
「よし。いい塩梅だ」
何やら満足気だが、てんで分からない。
それでも言いなりになってやる優しさを持ち合わせている己は、幸か不幸か。
「あ、ん、ん。それ」
腹ばいになって口でしてくれている幼馴染が、銀時の視界を占める。
ぷちゅ、「キ、ふ」
キスて。笑ってしまいそうだ。そうだったのか。
すっぽり中に含んだのち出し入れサービス増量中ですか。と思っていたら、先端に唇を擦り付けてくる。
柔らかくて擽ったい。しっとりしている。
あつい。気持ちがよい。
「ん、っ」
「ん。うん。いいは、ひんほひ」
「…っ!」
目を伏せ横髪を耳にかける仕草が、サマになっているなあと思う。
おちょくるか褒めるかしたかったが、いよいよ手を添え根本をしごかれるので、くらくらして叶わなかった。
耳たぶに伸ばした指は、軽くかすって布団に落ちた。
「あ。っは、あ!」
「ぷあ。…多い。かかった。っクク」
「う、ううー。くそ」
「あちぃ。オイ、ちり紙」
「待って、っはあ。ちょっと待てよ…」
じり。じりりりり。
ちう、くちゅり、とほんものをしている途中で、黒電話が鳴り響いた。
二人揃って僅かばかり飛び上がった。高杉は特に。
いきなり顔をずらすので、ぺろんと下唇がめくれたくらいだ。
「いいよ」
どこ吹く風で続けたいものの、じっさい銀時も気になる。
じりりり。
「…開店休業中なので」
「銀時」
「いいって。今ちげえから」
「あ、耳」
「これで銀さんのことしか気になんなくなるだろ」
「息っ、うるせ、っぁ」
「これもキスです」
舌を差し込んでチロチロ動かすと、身体が震える。
耳たぶをすっかり口に含んで吸い上げるのは、そこまで効かないらしい。残念。
煩いだなんて随分な言い草だが、実は効果てきめんなのも分かっている。
ふう、ではなく、はあ。もう一度吹き込むと、やはり震えるのだった。
「ぁ、うあ。それ、やめろ!銀、おま、早く脱げ、っよ」
「あはは。ん、引っ張んなって、チャックこっちだから…」
じりりりいん。
電話はしつこく鳴り続ける。
二人ともすっかり肌を晒した頃、漸く止まった。
「…かあ!」
遠くから人の声がする。
「こんにちはー!銀時くんいませんかあ!」
玄関からだ。
のっそり首を動かし、寝ぼけ眼ながら二人は顔を見合わせた。
窓の外は薄紫に染まっていた。
枕元のジャスタウェイを見るに、小一時間ほど眠ってしまったらしい。
「…います」
「オイ、やめろよ。出んのかよ」
ぎんときー!いないのかあー?
緩慢な動作で各々衣服を身に着ける。銀時は黒インナー上下、高杉は白地に渦巻き模様を借りた。
ぎーんーとーきー!
洗濯機の中でしんなりしているであろう濃紫を思い出し、ささやかな憂鬱。
「なんで?何で今日みんな俺んち来んの…」
心底嫌そうに、家主が客の後を追った。
玄関まで、あと数歩。
高杉の脇に頭をねじ込んで覗くと、線の細い人影がある。
髪の長い人物に見えるのは、あくまで思い込みだと信じたい。
「パー子ちゃあん?」
これには、かちんと来た。
うるっせーご近所迷惑でしょうがァ等と返そうと口を開いたところで、高杉が立ち止まる。
「ぐえ」
そのお陰で腰を落とした変な姿勢のまま首が締まる。
抗議の意で頭を上げると、相手の脇や胸を擦ってしまった。
「うわ、は、」
こり。かちゃ、ききき。
互いに掴みかかったせいで、不審な音に気付けなかった。
その間に戸を開け、あたかも万事屋の正当な住人のように、桂が顔を出す。
「あれ?」
彼の右手には細長い金属棒。
出迎えた二人は、暫く動けなかった。
「っはああ?なんで。やだあ。ってか、はああ?怖あ!」
「お前らは、また喧嘩か。全く子供だな。やれやれ」
「…遅かったじゃねえか」
「居たんだろう。なぜ出ない」
「銀時がよ」
「それよりさ、ヅラくん、あれ、あの、どうやって入って来たかもっかい聞いてもいい」
「ヅラじゃない桂だ。それよりもだ。さてはニャンニャンに掛かりきりだったな?」
「……っ」
「高杉は良くてなぜ俺はだめなんだ」
「それは、」此奴は勝手に入ったと言っても渡した合鍵を使ってる訳で、と言うとじゃあ俺にも寄越せとくるのが目に見えている。
パス。しかし隣に助けを求めるも、更に横を向いた高杉のうなじしか見えない。
立ち上る煙管の煙の細さまでも、何故か心許ないような。
「さてはチュッチュに夢中だったな」
「な、」
ほぼ正解である。
「……」
「さてはドロドロに溶け合っていたな?」
「溶け…。あ!」
突如、がたんと音を立てて高杉が立ち上がる。
これにはセクハラ常習犯も目を丸くしてしまった。
「あァ、間に合ったぜ」
一抱えもある白い紙箱を覗き込み、ほっとした顔を見せる高杉。これはこれはよくやった、と桂は頷いてみせた。
灯台下暗し。それは、はじめから玄関の靴棚の上に鎮座していたのだった。
「なに?それ」
「銀時お前マジでか」
「叩いても無駄だぜヅラァ。困ったもんだ」
「まあな。いや、それにしてもだな。銀時貴様。俺は言ったぞ」
「へ。なにを」
「再来週アツくしてやるぞって。…だからリーダーも席を外してくれたのではないのか?」
「いつよ。んな話したっけ」
「ほら、ハロウィンビースターナイト★の手伝い頼んだ時、」
「あっ…た、か?えっ何。それが今日って?んな大事な話オカマバーですんなよ」
「……?オイ」
「おお、案ずるな高杉。そういうアレではない。そう、銀時はもっと能動的にだな」
「やめ、もう終わり!ヅラ!」
「ヅラじゃないヅラ子だ」
「ヅラ子?」
「じゃなくて!いやほんと、は?何が始まんの」
「そりゃあ」「主役がまだ来ねえからなァ…」
特に時間は決めず、それぞれ好き勝手に万事屋を訪れたらしい。
高杉持参の箱は、ひとまず冷蔵庫へ。
桂の風呂敷包みは早々に解かれ、その中身を高杉が万事屋のテーブルにぶちまけた。
「いいねえ!」「へェ」
身を乗り出す二人の様子に、桂は得意げだ。それはチョコや酒のつまみの小袋たちだった。チュコパイも、ボッキーもある。
「あっ俺カペリコ食いたい」
「高杉は、ねるねるぬるね?」
「それ、水要るんだよな?はい、あげる」
「ありが…これテメェのいちごミルクじゃねえか」
「はいはい、もう喧嘩しない!ほら。んもう」
「あ、ああ。しかし棒菓子じゃねえんだな。やるじゃねえかヅラ」
「お前こそ裏切らん。きっと用意してくれると思って俺はこれにしたんだぞ。あと桂だから。はい、あげる」
「ん?これ水じゃねえだ、」
「あっ!銀時そっちはまだ開けるな!」
「えっ?」
「それはな、本番のお楽しみなんだ。こっちにしておけ、な?」
「…ろ……」
棒、ってさあ。
褒め合う二人を横目に、銀時は銀時で思うところがあった。
それなりに温かな触れ合いだったのに。新の目的は自分ではなかったのかと、落胆したのだ。
実は。ほんの少しだけ。
「しかし、来ないな」
「来ねえなァ」
また降ってきた。
待ち人は、未だ来ず。
晴れ男坂本氏生誕祭
「ちょっと。お前ら馴染みすぎじゃねえ?電話すれば?」
幕開けの菓子も底を尽き、各々のんびり茶を啜っていた。
不憫な家主も大まかな状況を察したものの、状況は未だ進展しない。
「うむ、今する、今。ずっ…あっつぅ!」
「毒味ご苦労」
人の反応を見て、一度手にした湯呑をテーブルに戻す高杉。
それぞれ使っているのは、所謂マイカップである。
勝手に人んちの物増やしやがって云々と文句を零す割に、都度きちんと洗ってくれているのを、ちゃあんと知っているのだ。
相対する家主の手にあるのは、ピンク色で満たされたグラスである。
「ふっ。つかさあ、年がら年中よくそんな熱いの飲めるよね」
「いつまでもガキなのは、何処の天パだろうなァ」
「あー!もう!」
「そうそう。ちょうど今から、高杉がしてくれるらしいぞ」
「誰がだ。良いぜ、教えてやらァ。船だか電話線だか。壊れたから変える、って他所から掛けて寄越してな、それきりだ」
「はああ。あ、俺ラッキーパーソンは長髪のバカって、今朝占いで聞いた気がしてきたなあ」
「…その、変えたって話、俺は今初めて聞いた。マジだ。あとバカじゃないです電波です」
はあ…。
三人揃って、肩を落とした。
二杯目は、高杉が淹れた。
無言の圧を受け、今度は銀時もグラスではなく湯気の立つ湯呑を手にした。
「それにしても、よく無事に辿り着けたな。急に降っただろう?俺は雨宿りしてから買い物してきたんだが」
「ああ。それ、見たぜ。立ち往生してたな」
「見たぜじゃない!見たぜマル、じゃないだろう!」
「悪い」
「横顔があまりに淋しげで声を掛けられなかったんだ悪かった愛してる昔も今も桂、だ」
「…あァ」
「何故声を掛けない。雨のなか捨て猫に傘を差し掛けて無言で立ち去る不良ポジションだろう?」
「俺だって傘無かったんだよ」
「あ、それでか」
「そうだぜ、銀時。俺ァそれでもアイツを死守して、来たんだぜ」
アイツ。冷蔵庫から視線を戻し、銀時は桂を見た。
まだ飲まねえのかな。
「納得納得。うはは、そりゃ大変だったな」
「銀時の分は、俺が食う」
「何でもないです」
「…で、傘やるどころか、俺ァ、良いとこ見つけたなと思った」
「うん。まあ、その、なんだ。大人は、なかなかタコさんに入れんからな。コホン」
「あー。ああ!あそこか」
「知ってるのか?」
「神楽から色々聞くよ。ヅラ、公園で雨宿りしてたの?ケヤキの木のとこ?」
「多分そこ。なかなか良いものだったぞ。雨宿り、の響きからして、なあ?ノスタルジック、ピュア、静けさ」
「うん、ヅラくんにぴったり。…でさあ、気になること思い出しちゃった」
「うん?」
「そのヅラが入ってたタコ、中に長谷川さん居なかった?昨夜チラッと会った時、ヤバそうでさあ」
「長谷川さん?ああ。銀時の。オッサン」
「誰だ?」
「おお高杉、お前は知らなくても良いんだ。昔の話だよ、大人には誰でもある。オーマイ…」
強い力で太ももをソファに押し付けられ、浮きかけていた腰が再び沈む。
高杉は、見逃さなかった。
肩をすくめて意味ありげに首を振る桂が、そのまま流れるような動作で湯呑を持ち上げたのだ。
「フフン。ぅあっつ!」
笑った。
「ヅラの反対側の穴の前に、何か落ちてたなァ」
「その話まだ続くの。空き缶だろ、どうせ」
「いや水たまりだろう」
「違ェ、…草履だ」
「ッ!ほらやっぱり居たんだよ、一つ屋根の下。ヅラと長谷川さん!会わなかった訳?」
「俺しかいなかったぞ」
「両足分、並んでたがな」
「…ここだけの話、俺は一人三役で、先週の大河を復習していたからなあ。しかし」
「そりゃ引くわ、長谷川さんでも誰でも逃げ出すわ!」
「聞けよ銀時。しかも穴からはな、茶色いひらひらした、」
「~~アーッ!」
ぱらぱらと、天井から落ちてくるほこり。
銀時の悲鳴をかき消す衝撃音があった。
三人揃って、固まった。
「今、人の声もしなかったか?」
「見て来よう。行くぞ、銀時」
「か、勘弁、ちょ、腰が」
「馬鹿野郎」
銀時を捨て置き、二人はばたばたと出て行ってしまった。
一気に静かになった。
これはこれで懐かしかったりする。
外を頼んだからには、殿だ。
漸く立てそうだ。さて俺のエクスカリバーは、と。
玄関に向かうと、冷たい夜風が吹き込んでくる。あいつら、開けっ放しにしやがった。
その向こうに広がる星空。
あれ、と思った。晴れている。
銀時は、素直に目を奪われた。
今日は降ったんじゃなかったっけ。で、いったん晴れて、でもまた降ってたよな。
そう言えば、お茶飲んでる時って、どうだったかしらん。
「き、きんときぃ」
弱々しい声がした。
「ぎ、ん、と、き!」
「お、遅れて、ゴメンねえ」
ず、ずず。どこからか、重たげな荷物を引き摺る音がする。
外の階段だろうか。
副官に連れられて来たか、さては寄り道、
「おぶっ!」
敷居をまたいで外に出たところで、ずどん、と頭上から衝撃を受け崩れ落ちた。
「あは、あはははは。お邪魔するぜよお」
左右はヅラと高杉に見てもらって、中は俺で、上は辰馬。そういう当番の日みたいだ。
異常なしを確認した後は、こんな酒盛りもしょっちゅうだった。
行きよりはずっと静かな足音が二人分、戻ってくる。
「おう。待ってたぜ」
「よく来たな」
「ちっくと遅れてしもうたけんど、ちゃんと着いたぜよ!あはははは」
「退け、早く。…銀さん、潰れる…」
ところにより強い雨
「…ハッピバースデー、ツゥーユー!ハッピバースデー、ディア、たーつまー…」
「いま誰かハッキリ言ったじゃろ?つゆ?めんつゆ?」
「ハッピバースデー、かーん、ぱーい」
「おまんらあ…」
「乾杯!」
通り雨に巻き込まれながらも、必死に届けてくれた者の功績も讃え。
坂本辰馬の誕生日会は、無事に開催された。
ふわふわの生クリーム、イチゴの行進。
五号サイズのホールケーキは、四等分のち正しく四つの皿に配分された。
うち一切れは更に二等分され、片方だけ他の皿に移動した。
「いつも悪いねえ、高杉くん」
「別に」
そういうことである。
「今日は、わしが貰うべきじゃないかの」
「それもそうだ」
「おい高杉、しーっ、しー…」
「アハハハ、後で覚えとれよ?きんとき、フォークちょうだい」
「銀時、俺は紅茶を頼もう」
「はい、はいはい…」
目配せで三者合意が成立する。
銀時が背を向けている間に、彼の皿にあったケーキのイチゴは辰馬の皿へと瞬間移動した。
「にしても最近のは溶けねえな」
この瞬間、銀時の違和感が規定レベルを超える。
「お前さあ、何か勘違いしてない?」
「忘れちまったのか銀時。まあ、それが道理だろうなァ」
「あー…。うむ」
「わしも、それ聞いたことあるぜよ。子供の頃んじゃろ?」
「だね」
「先生が買って来よったんが、サーティウンのアイスケーキで、っちゅう」
「大正解の坂本くんには、ハグをしてあげよう」
「遠慮しと、うおー、はい、ありがとう。はい、うあー」
「何度も言って悪いが、銀時が田んぼに落ちるから帰るの遅くなってよ」
「帰ってからが、ガチ泣きでな」
「うっ、銀さん今も泣きたい。時効。流石にもう止めて欲しい」
「そんで、高杉は可哀想なきんとき見たのがトラウマなって、普通のケーキも溶けゆう強迫観念に駆られっちゅうアレ?」
「何だって?」
数秒、全員言葉を失くす。
「嘘だろう」「マジでか」
「…あァ?」
「いや、いやいや銀さん何もしてねえだろ、驚愕してるわ」
「きんときが悪い」
「ま、そうだな。銀時が悪いということで」
桂のフォークが、銀時の皿からひと欠片奪っていった。
「ヅラあ、もう無いからちょうだい」
「そこにも、もう無いか?」
「あ、あー。はい。ごめん、あったわ」
皆で摘む、と言うより無言で熾烈な取り合いをしている寿司セットは、坂本の持参だ。
ケーキを平らげこたつに移動してからは、もう何の会だったか曖昧になっている。
「あ?もう一合終わっちまったか」
「おっと」
「今日は酒が進むぜ。お前らと飲むのが一等だ」
「あ、あらそう」
当たり前だ。
皆で飲む時、お前の相棒はあることをしている。のを知らないのは本人だけだ。
見ない間に銀時が頂戴するせいで、そのまま己の酒の強さを誤認し続けているらしい。
勿論、その言葉をそっくり取ったところで間違いとも言えないのだろうが。
「ヨカッタネー」
「嬉しいこと言うのう。もっと祝っても、ええんよ!」
「さて宴もたけなわですが」
「えっ嘘ヅラ、今日は夜通しじゃろ?」
「銀さん覚悟してましたけど」
「こちら、ちょこっと良いチョコです」
「あ、斜め上だった」
同じ数ずつ配られたチョコの中から、せーの、で一個だけ選んで口にしていった。
ところが、誰にも何も起きないまま最終ターンを迎えた。
空気はやや白け気味である。
「全員、五個取ったか?」
「せーので食べたでしょ」
「本当に誰も当たってないんだな?」
「と思う」
「坂本は辛くても気付かねえだろ」
「何言うとるが。ぜんぶ同じ味だったぜよ。…だったよね?」
だが銀時には確信がある。残りは全部シロ。
つまり、既に当たりは出ている。
確か三回戦だった。高杉がこっそり顔をしかめていたのだ。
微妙な辛さ故に我慢できてしまい、言い出せないままと踏んでいる。
再度ちらり隣を盗み見ると、虚ろな目をしているので驚いた。
「ストップ。待って、こいつヤバくね?」
「どしたん。酔うた?」
「…は、」
「ん?」
「俺は、降りねェ」
「バッカお前、はい、もう終わりね。当たったんだろ?」
「そうじゃねえ…」
「水飲むか。いや、茶にしようか。皆で飲もう」
「違ェ、当たってねえよ。はあ…。やるだろ?銀時。お前のそれに、入ってるかも知れねえがなァ」
「んな、だって俺見たし」
「銀時ィ…だったら、お前が一番に食ってみろ」
「おまんら、いい加減に」
「俺は先にイクぞ!」
「あっヅラっ」
「んん。うん、うむ…」
目を閉じて口をもごもご動かす桂を、他の三人は固唾をのんで見守った。
「ど、どうじゃ」
「無いでしょ、え、だってさあ」
「……」
「ヅラ?」
沈黙。
「セーフだ!」
銀時は、大いに動揺していた。
おかしい。何かが変だ。眼前のチョコが途端に怪しく見えてくる。
「食わねえのか」
「食います」
「早くしろ」
「いえいえ、お先にどうぞ」
「もー!おまんら見てると何が恥ずかしいのか分からんくなってくるぜよ!ハイいただきますう!」
「な、抜けがけかテメェ」
坂本と高杉は競うように個包装を開け、口に放り込んだ。
そして数回噛んだあと、二人とも無言でこたつの上に突っ伏した。
一向に起き上がらないのが心配になった銀時と桂は、グラス一杯の冷たい水を持ってきた。
声を掛けると、めいめい顔を上げて飲み干したので、まあ良し。
「アハハハははハレルヤ」
「坂本誕生日おめでとう」
そして震える声で何事か呟いたのち、二人は再び突っ伏した。
「どゆこと?」
寝た子は起こさないに限るが、気にはなる。
「俺は、坂本が当たりということだと思う」
「当たりって、何個も入ってる?」
「一個だけだがな」
「高杉、三個目食ったとき死にそうな顔してたよ」
「今日はケーキを食べただろう?その前にも三人で色々、なあ。許容範囲を超えたんだろう」
「そんな…銀さんの好物を…まるで毒みたいに」
「今日はニャンニャンもしたんじゃないのか?甘すぎたんだろう」
「あ、ええと。そですね、はい」
「やかましいわ!」
どんなに楽しい夜も、朝は来てしまう。
じゃあな、またのう。
言い合う間、辰馬はずっとコートのポケットを漁っている。
キャバの名刺かと笑っていたら、銀時の目前に、ぬっと影が落ちた。
「次は、お前に」
はじめ何が起きたか理解できなかったが、数拍遅れて、耳がきちんと解析した。
銀時は、真っ赤になった。
「え、っと」
「お前だけに、会いに来てやらァ」
そうして、さっと離れてしまう。
草履を履いて、どこかしら格好つけて、振り返らずに出て行く。
狡い奴。
「あったあ!船の鍵ィ!」
「相変わらず危ねえ奴だな」
「高杉は、忘れ物は無いな?偉いぞ。オシオシ」
「たりめえだ。…るせえな、それ止めろ」
「ヅラ子さんにされたら、皆喜んでくれるんだがなあ」
「なあ、それ何の話なんだ」
「おん?それワシ知ってる話?」
着物が乾いて、良かったな。
小突き合いながら去ってゆく彼らを見送ったあと、意外にも顔を洗い、歯を磨き、湯を沸かし。
そうして、銀時はテレビを点けた。
二日酔いでもそうでなくても、ニャンニャンしてもしなくても。彼女の笑顔を見ないことには、人の朝とは言えまい。
『昨日に引き続き、大変不安定な空模様です。お洗濯を干したままのお出掛けは、絶対にやめましょう』
「ええ、マジでか」
予定では、今週いっぱいは泊まり掛けのバイトで、神楽も新八も帰って来ない。
最近、景気が良い。じゃんじゃん仕事が来る。
向こうの天気は大丈夫だろうか。定春は粗相をしていないだろうか。
因みに、いわく付き旅館でないことは何度も確認した。
うまくやってるかねえ。三食賄い付きと聞いて大喜びで出掛けて行ったが。
壁掛け時計の示す時刻は、まだ早い。
あと二時間ほどしたら、様子伺いの電話でも入れてみようか、などと思う。
ぴんぽーん。
ぴんと背筋が伸びた。
こんな朝早くから他所のお家を訪ねるなんて、絶対にろくな奴じゃあない。
ノーモアピッキング。ではない。やばい。それどころの話ではない!
鍵を、締め忘れてしまった…。
しかし、いきなり他所のお家の玄関を開ける奴も、そんなに居ないものである。
銀時は、静かな呼吸を心掛けた。
『…はい、現場の花野アナ、リポートありがとうございました!』 はっとする。ずっと点けていたのだ。
『お知らせした地域の皆様、落雷や突風に十分ご注意ください。大荒れも予想されます。…』
外で何か光った。
『長時間の外出は避けましょう。空路・海路共に欠航情報も出ております…』
ふいに、玄関の戸が鳴った。がらがらと。
終わった。木刀。どこ。
「銀時ィ?」
ん?
がらごろごろごろ…。
これは、外から聞こえる音だ。まだ遠い。
深呼吸を一つして窓を開けると、降りだしていた。
重量感のある灰色雲が、青空の大半を隠してしまうところだ。
「銀時、居ねえのか。また濡れちまったぜ…」
銀時はテレビに向けて、ちう、と唇を尖らせてみる。
勿論それで満足できる筈もないので、さっさと玄関へ向かうことにした。
四人で居る時より酒の進みは遅くなっても文句は聞けないが、良いだろうか。
濡れた着物だって。
彼女があんなに言うのだ。
また洗ったところで、次はもう、暫く乾かないかもしれないのだが。
「んだよ、居るじゃねえか。さっさと出て来いよ」
「だよなあ」
「こんな早くとはな。来たぜ、お前だけに会いによ」
ろくでなし野郎しか、居ないよなあ。
「何。止めろ、クク、濡れてるから、…うわ」