「それ、見てて可哀想になっちゃいますよ」
何の変哲もないビニール傘。
因みに骨の具合が派手めに一箇所おかしい。
でも捨てない。
「結構です」
「銀さんてば、もう」
「……けっこう毛だらけ灰だらけ、おしりの周りはク」
「ちょおっと!」
「けっ」
「なあに?今の早口言葉アルか?もっかいやってヨ銀ちゃん」
「おう。結構毛だらけ灰だらけ…」
「銀さんてば!もう!」
借りた傘だからだ。
高杉と一緒の夜で、飲み屋を出ようとしたら外はいつの間にか雨ざあざあで。
並んで苦笑いをしていたら、「壊れててアレだけど。差し上げますよ」と店主が渡してくれたのだ。
傘を口実にリピーターになったら、あの人好きのする店主は喜んでくれるかもしれない。
そうしよう。また高杉と一緒に行こう。
と温存しているうちに梅雨に入ってしまった。
降り過ぎだ。
なかなか会えないので、俺も流石に寂しくなってきた。
下手すると半年も前だったかもしれない。
パチ屋なりコンビニなり、俺はちょくちょく傘を忘れて帰ってくる人間だが、これは都度きちんと持ち帰っている。
なんだか、お気に入りみたいになってきている。
「って、何で今日だよ!」
「銀時…」
思わず大きな声が出た。
いや、つい。肝心のあの傘持ってない癖に、一人の癖に。来てしまったのは、つい。
何故なら俺は既に酔っている。
カウンターを挟んで反対側の客の目線が痛いのは感じとれた。
ごまかし笑いで席に着いた、つもり。
何かのついでにこっち来てて、前から目を付けてた何かが高いだか強いだか。
それの元締めだか悪の組織だかがなんちゃらかんちゃら。
それは笑った、あれは笑えなかった、とか。
うん、うん、へえ。
俺が喋らない、というか喋れない時、高杉は俄然喋る。
内容はからきしだが、此奴でもべらべら喋りたい夜があるってのは愉快だ。
それを俺に向けてくれるのが非常に嬉しくて、物凄く適当な相槌を、俺は俺で楽しく打ち続けた。
…んだと思う。
「ふがっ?」
翌朝目覚めると、高杉の部屋だった。
よく入れてもらえたな。
こういう時、隣を見るのがちょっと怖い。
残念ぜーんぶ夢でしたそろそろ覚めます、に落胆するのが初級として、今回は上級パターンらしい。
つまり夢ってことでよろしく、に耐える精神力を示し給えという訳だ。
銀さんとっくに慣れっこですがね。
でも年一くらいで、忘れた頃にまともに食らってしまう。
ここまで連れてきてくれる癖に。
「じゃ、好きに出てけ」とばかりに隣がもぬけの殻になっているのは嫌なものだ。
「ん…?お?」
そろそろと手を伸ばすと、予想に反して温かなカタマリにぶち当たる。
「あー、いるぅ…!」
「やめ、銀、ッタマ痛え」
敷布の、どちらの体温も吸っていない範囲はひんやりしていて、気持ち良い。
二人とも殆ど裸だ。けど何が、ナニができた訳でもないであろう、この感じ。
俺自身も頭は割れるように痛いと気付くが、渾身の力で抱き寄せ、擦り寄る。
明け方は寒い…と言いつつ温かくなる過程は、素晴らしいものだ。
「銀時ィ、…肩冷えてるぜ」
「あっためて」
どちらの声も、がらがらだ。
「白夜叉すっかりツバメっスね」
「…悪口言われてる?」
「また子、ちと違うぜ」
「そ、そうだそうだ!昨夜ちゃんと割り勘したよねえ、だろ?高杉」
「ゆうべ『は』?…晋助様ァ!」
「フン、言うだけ無駄だぜ。ん?」
「えっえっ嘘嘘、銀さん払いましたー、そんで傘とか菊とかアスタリスクの話しましたー」
「アスタリスク?」
「してねえだろ」
「何の話ッスか?」
「銀時…」
普通に一人ずつ風呂に入り、弾丸娘が出してくれた冷たい麦茶を飲みながらおっさんずラバーズは並んで暫くぼんやりした。
布団でナニかしら、も実際問題辛すぎたのである。
お茶だけ寄越して、後は放っておいてくれれば良いのに。何故か興味津々で弾丸娘は居座った。
これが煩いのなんの。
早くどっかに追いやって欲しい。
げんなりして首を傾けると、当人はソファにふんぞり返って目を閉じていた。
口元。ちょっと笑ってやがる。
お前は良いよ。両手にさあ、自分の好きなもん持ってんだからよ。
だが一絡げに持たれる方はたまったもんじゃない。
そこだけは、この弾丸娘とも分かり合える筈だ。
「…何スか」
若くて、可愛くて、元気で、心身共に強くて、女の子。
「別にぃ」
「そんな哀れな目しても何も出ないッスよ。てか今日はさっさと帰って寝ろ。アンタが酒臭すぎて、晋助様の二日酔いまで治らないっス!」
理不尽。
じゃ、な。
おう。
そんなこんなで、軽く挨拶をして船を出た。
「白夜叉!」
何なんだよ全くよお。退散してやったのに、これだ。空耳空耳、俺は何も聞いていない。
「待てェい!」
そう言われて止まる馬鹿がいるかって「これ!」
どふ、と背中に衝撃を受け、つんのめって踏ん張って、立ち止まった。
「バッカヤロー総督どういう教育してやがん」「晋助様よく飲んでるッス!」
と、トマトジュース…?
「ハン。もう来んな!」
あり、がと…?
小走りで船に戻っていく後ろ姿を見送りながら、さらさらと灰になっていく錯覚を感じた。
こりゃ敵わねえと笑えてくる。もう、清々しい。
それに、タックルしてきた時の身体が、ちょっと。柔らかくて。
参った。
高杉は良いなあ。俺の他にもあんな、好きなもんがあって。
欲張りだ。
ふふふん、と我ながら穏やかな笑みを浮かべて歩き出す。
俺の他にも。
も?
「んだよ、くそ、くそ!」
舌打ちをしても大股で歩いても、立ち止まって、貰ったジュースを飲んでも。
二日酔いか何か知らないが、暫く顔がぼぉっと熱かった。
ジュースに効果があったかと言うと、可もなく不可もなく。
「ええと、ちょっと待ってくださいね」
新八が受話器の「口」を塞いでこちらを向く。
「銀さん、つばめの巣の掃除だそうですよ。一回何円ですって言えば良いですか?」
ああこの季節か。とは思うのだが、具体的に何月のいつ頃、と言える訳ではない。
毎年同じだ。
ちょこちょこ入る仕事だ。
仕事というのは軒並み全て怠いが、どういう訳かウチに来るご注文は「巣立ったから下の掃除して」ばかりだ。
「作られちゃったから生まれる前に取っ払って」を考えれば、一億ダルイが九千ダルイにはなるので我慢して受けている。
ジャンプを置いて、背伸び。
へいへい出ます出ます。九千一ダルイ。
「んうう、どうしよっかなあ、去年はいくらでやったっけなあ。あ、やばい、どうだっけな…」
「強気でいきましょう」
「へい。新八くん超特急で去年のお金関係の紙探して」
「ええー?」
「もしもおし、代わりました、…」
ここ数週間、順調に巣立ちの後片付けをして回っている。
油断していると時々まだ降るので、壊れたビニール傘は現役だ。
俺が、ツバメねえ。
失礼極まりない。今どきの若い奴はすぐ調子に乗る。
自信がなくて、調べ(て貰っ)た。
ちょっと傷付いた。
ちぇっちぇっ、と唇を尖らす戻す、を繰り返しながら商店街の脇道でスクーターを押していたら、後頭部に衝撃を受けた。
あちー、とヘルメットを外した数分前の自分が馬鹿だったのだろうか。
「ジュジジュジュジュジジュジュジュー!」
「えっ?!ええっ!?」
恐怖、意味不明で完全硬直。
わしゃわしゃ、かさささささ、バサバサッ!
腰が抜ける。
「っギャー!!!何?たたた助けて!誰か!取って!ギャー!」
もぞ、バタタタタ!
何?何だ?
「土食って泥食って渋ーい」
「ッアーッ!」
耳元でぼそぼそと謎の早口言葉が聞こえた。低い声だった。
もうダメだ。呪われた。
「仲間どころか…ねぐら貸してんのか」
訂正、もう呪われていた…。
「あわわわたわた、た、たわすぎ、おま」
「涙目…ッくく」
腕を引かれ、ふらふらと立ち上がる。
夢遊病患者さながらでも、スクーターは自力で起こした。
そのまま並んで歩く。
今日の高杉はあまり喋らない。通常運転だ。
「…だから、鳥だっつってんだろ。見たぜ」
「っかしいだろ。人間の頭だぞ」
「だったのかァ」
「失敬な!」
ぽつぽつ話すうちに、本日の仕事場に着いてしまう。
庭先のあじさい。ここは、青。
「良い屋敷だな」
「ですねえ」
変な空気があった。
湿った風が吹いて、高杉の、流している方の前髪がひらひら揺れる。
そうして俺は何となく、察してしまう。
何らかの下見とか?
「銀時、」
お前の成すこと信念だとかは知ったこっちゃねえが。
せめて俺の見ないうちに終わらせろよな。
それだけ。
とまあ、そうやって距離を気にする時期はとっくに卒業している。
「お前よお」
「あァ?」
「物騒なこと考えてやがったら承知しねえからな」
「フン。言うじゃねえか」
「最近また物騒らしいですよ安心見守りサービスガチバージョン割引しますよとか、言っちゃうからな」
「良い商売してんな」
「褒めろ褒めろ」
釘は刺したし。後はあじさいの色と土の違いについて想いを馳せようかと思う。
の前に、営業スマイルか。
「…じゃ、行ってきま」
「今夜」
「っからダメっつってんだろ」
「雨らしい」
「へ?」
「でけェ傘持ってってやる。やっと返せるな」
ぽかんとする俺を放置したまま踵を返し、高杉はもと来た道をさっさと帰っていく。
デジャヴだ。
そういう方針なのか。格好つけやがって。
見送る背中は、赤紫。
依頼を数件終え、いったん帰ってシャワーを浴びてからやって来た飲み屋。
高杉は、本当に居た。
念願かなったものの、むず痒くて仕方ない。
少し前に、雨が降り出した。
「毎度どうも」
渡される冷たいおしぼり、ナイスです。
きっちり件のビニール傘も携えてきたが、こちらに関しても案外すっきりしない。
いざ店主の笑顔を前にしてみると、返すのも馬鹿らしく思えてきた。
「借りた」夜から更に骨が曲がってしまって、もう留め具も伸び伸びなのだ。
今日はなんとか菜が美味いとゴリ押しされるので、それとビールを頼む。
甘いものは諦めて、他は高杉にお任せだ。
「あ、あとね!」
やはり、黙って帰るのも気持ち悪い。 「あいよ?」
足元から掴み上げたビニール傘を見せてみた。覚えてるかしら。
「ああ!」
店主は笑って、要らん要らん、と手で伝えてきた。そこから親指を立て、厨房を指す。
アルミのバケツにぎゅうぎゅう差し込まれた傘たち。
フン、と高杉が笑った。
「実はさあ、お前よく来てた?」
「たまに、な」
その夜、俺は宿で夢を見た。
赤紫の縫い糸でやってくれ、と爺さんから依頼を受け、あじさいを咲かせる夢だ。
周囲はしとしと雨だった。
分からなければツバメに聞けと言われ、はああん?と首を傾げたところで、目が覚める。
風呂場のドアが開き、高杉が裸で出てくるところだった。
一瞬、夢に雨が入ってきたのは此奴のシャワーのせいかと思ったが、ベッド横の窓からも本物が聞こえてくる。
「もう梅雨も終わるかと思ったがなァ」
バツの悪さを隠しきれていない様子に、胸がぎゅっとなる。
こちらに背を向けさっさと着物を着ようとするので、すかさず飛び付いてベッドに転がした。
宿を出て、高杉の傘に入れてもらって歩いた。
雨が弱まり、傘を差す人も減ってきていた。
「あ。見て高杉」
「あ?」
「後片付けしてもさあ、また同じとこ来たりすんだよな」
「…へえ」
古い金物屋の軒先に、巣。
巣立った後らしく、中は空っぽのようだ。
この辺りの電柱に、万事屋銀ちゃんにお任せあれ!と張り紙をしたら厭らしいだろうか。
「なんだ?」
布だろうか。よく見ると、青い切れ端が巣から垂れ下がっている。
この巣の主は、少々珍し物好きだったようだ。
そこで思い当たった。
「お前もよ、ぴらぴらしてんなあと思ってたんだよ、昨夜。ほら」
高杉の左手を取り、着物の袖口を探る。赤紫のほつれ糸は健在だ。
「う、わ」
「あ、引っ張んない方が良いでしょそれ、うわ、あらら…」
夢は復習だったのだ。
また暫く無言で歩くと、かぶき町が見えてきた。
早かった。
まだまだ降っても良いのに。青空が煩く感じる。
くるくると閉じられる、高杉の立派な傘を何となく見ていた。
「じゃあ、な」
「ああ…」
別れ際、ぽんと頭に触れられた。
変に思い、すぐ自分でも頭を触ってみると、ほつれ糸だった。
赤紫の。
「…高杉てめえ、もっと言えよ、何か、はっきりよお、もっとしょっちゅう、誘ったりして来やがれ」
「そっくりそのまま返す」
「え…」
「銀時、その傘」
捨てられなかった傘、返すほどでもない傘。
「え?」
「巣の下にぶら下げれば、床が汚れねえ」
「え?はあ、……ああ!」
「傘とか拘ってねえで、次はもっと早く言え」
「っお前こそな!」
ひっそり笑い、赤紫の背中は雑踏に消えていった。
傘。傘の受け皿ね。なるほど。
ああこの季節か、とは思うが、具体的に何月のいつ頃、と言える訳ではない。
毎年同じだ。
だが、今年は新しいことを覚えた。
あじさい、雨、ツバメ。
色々あって、案外悪くない。
まあ、来年から準備サクサク依頼じゃんじゃんボロ儲け、という自信もないのだが。