ラブホが好きだ。あれは純粋に楽しい場所だと思う。
だって何と言うか、きらきらしい。非日常で、夢の城みたいだ。
随分お高くついてしまうのが難点ではあるが。
ウキウキしたいってんなら、ナイトなんちゃらみたいな区分でも狙って遊園地…流石にそういう話ではないのである。
やりたいのはそれはそうなんだけど、だからね、普通に心踊る何かがあるよね。

ひと気のない公園、神妙な表情でブランコに揺られる男が一人。
日が随分短くなった。辺りはうす青いが、時計の文字盤が指す時刻はまだ五時前だ。

つい先程、倍にしようとしたものがゼロになった。
銀時は、ぼんやり現実逃避をしていた。
だから後ろから頭をわし掴みにされても、圧に従い大人しく下を向くだけだった。

「よお」
「ごめんね…」
後ろから吹き付けてくる木枯らしに乗り、紫煙がほんのり香った。
何がごめんって、いつでも来いと言ってはいるが、実際いつでも準備万端とは限らない。
今日だって、そうだ。
「先のひと月は、もうしねえな」
「ん」
「守れるな」
「っせえ、…はいしません」

頭上の重みがすっと離れていった。
煙の混じらない純粋なため息が聞こえた気がして顔を上げると、唐草模様の背中が公園の出口に向かい小さくなっていくところだった。
「ちょちょちょ待て!もうしませんー!っおい!」

 

行こうと宣言がある訳でもなかったが来るなとも言われない。
はじめ銀時の斜め前にあった肩は、いつの間にか隣で揺れていた。
銀時が気まぐれに指した道が、そのまま進行方向に採用されたりもした。
だが途中から「やめとけ」が多くなった。
どうやら、それなりに目的地もあるらしい。

「銀時、行くぞ」
「ご宿泊六千円からってさ」
「そろそろお前に出して貰っても良いな」
「いいえ見てただけです」
「そんなに行きたいか」
「いや…」
そう聞かれると返答に困る。正確には、同じく行きたいと言ってくれる相手と行きたい。
「高杉くんは興味ないの」
「ふた月お前が無駄遣いしなかったら、興味が湧くな」
「そですか」

空は濃紺にきっちり染まり、銀時の目を引くネオンが輝き始めていた。
しかし、一文無しに発言権は与えられないのであった。

そうして二人がラストオーダーぎりぎりに滑り込んだのは、老舗の団子屋だった。
二人掛けテーブルに着き、こしあんの掛かった柔らかい団子を銀時だけが頬張る。
銀時の知る団子とは次元が違う。何と言うか、あんこが、物凄く滑らかだ。
向かいには湯気の上がる分厚い湯呑みだけ。白い手が持ち上げ、ぼってりと分厚い縁を紅い唇が包み込む。
妙に美味そうだった。団子には熱い茶が一番ですなあ。
自分の目の前にも同じ湯呑みがあるのをすっかり忘れ、銀時は物欲しそうな顔をしてしまった。

「ひと月も我慢できるのか」
「にゃにが」
「お前、他の楽しみは」
「…ラブホ行きたい」
「やめとけ」
「っぐ、む、…っっは」
すっと差し出される湯呑みを受け取り、喉に流し込む。同じものがこっちにもあるのに。当たり前のように。
「ッアツー!!!!」
「悪い」
「っはあ、あ。何が?やめとけって、おかしいでしょ。何が悪いか考えてねえだろ!」
俺も考えてないけど。無性におかしくて、くつくつ笑いが込み上げる。
ふん、と高杉も笑った。

「まあ…うん。だって銀さん別に宇宙行きまくったりしないしね。もともと刺激は要らねえんだよ。ないならないで構わねえのさ」
「玉転がるの見てて何が楽しいんだか、分からねえな」
刺激、とかちょっと格好いい話ふうに持っていこうとしたが上手くいかなかった。
もうこの話は止めにして貰いたい。

「他の刺激はどうだ」
「え、いや、お気遣いなく」
「非日常は好きだろう」
優しい声を出すなあ、と思った。
ただ、「妙に」と捉える頭がすっぽり抜けていたのだ。

 

翌朝は、すこーんと高い冬晴だった。
港に停泊する怪しげな巨大船の前に、銀時は一人で立っていた。

「っすう。障子の張替えで伺いましたっす」
意を決し、入り口に立つ見張りに名刺を差し出す。まだ若い、恐らく二十歳前後の男だ。りんごのような頬をしている。
「あっ、はい。っす。では中に」

拍子抜けするほどあっさりとした入船だった。
良いのかなあと思いながら整備担当を名乗るおじさんに引き渡され、次はここ、その次はあっち、あと一部屋…と案内されるままに仕事をした。
本当は、こういうのは新八の方が得意だ。
だが「継続した取引も検討中、挨拶も兼ねて社長に是非」などとふざけた指名があったからには仕方ない。
何故かは知らない。この船の誰が言い出したかも、知ったこっちゃない。

 

仕事は、昼過ぎには片付いた。
食堂もありますよと聞くと好奇心が踊った。
「では終わりましたらここに」
察しの良いおじさんから内線番号を教わり、銀時は一旦のお役御免となった。

「ご苦労さま」
白米にあんこ、とは流石に言いづらかったのでカツカレーを頬張っていたら、はす向かいの席から声を掛けられた。嫌な感じだ。
「むご、毎度どうも、万事屋銀ちゃんでふ」
どいつもこいつも。鬼兵隊ってのは人が食ってる時に話しかけて来る奴が多い。
「クリーニング?」
「ん」
面倒なので隣の席に置いた仕事道具を顎でしゃくった。が、これで通じるかどうか。かばんからはみ出た障子のロール紙について、それだと気付いて貰えるものだろうか。
男は、曖昧に頷いて笑顔を向けてきた。
仕立ての良い着物を着ている。爽やかを装ったやり手の実業家といった体だ。歳は…長谷川さんくらいかなあ、と思った。
「世界をぶっ壊す系には見えねえな?」
おや、と驚いた顔をされた。
「あんた、そっちか」
そっちとはどっちか。何か言い方を間違えたのは瞬時に理解した。
外から業者を呼ぶ場合、何と名乗っているのかは、聞いていなかった。

急にくだけた調子になった男は、聞いてもいないことを色々と教えてくれた。
外に本業を持っている者も多いこと。(「でもここの活動が俺たちの本当の人生だ」と彼は言った) 自分は、ニッチな星に行き先を絞った宇宙旅行の事業が順調なこと。
宴会メニューの換算に、コツがあること。(「ちょっとオイシイことがね」と彼は言った) 景気良いねえ、すげえなあ、と返していたら、男はおやつをご馳走してくれると言う。
おじさんの顔が頭をよぎった。が、促されて目を向けた壁に踊る「クリームあんみつ」の文字には抗えなかった。
無意識に、少しは自分の話もしていたらしい。

「美味そうに食べるねえ」
高杉とは違う。慌てて、無言で頭を下げた。
「良いよ。俺も食べようかなあ」

ぴんぽんぱんぽーん。

男が腰を上げた時、間抜けで平和的な電子音が流れた。
じじ、と続く雑音に、男は座り直す。
食堂にいる人々全員が、それとなく聞き耳を立てる気配があった。
何だ何だ。銀時も何となく緊張した。

『呼び出しだ。急で申し訳ないが、予算の話を繰り上げる。関係者は中広間に集まるように』

すぐ分かった。いつもより早口ではきはきしているが、高杉の声だった。
今日は、喉を詰まらせてもお茶を寄越してくれない。ので急いで自分で水の入ったコップを引き寄せた。
「じゃあ俺行かなきゃだ」
銀さんは違うの、と目を向けられたが関係ないはずだ。
手を振って見送る姿勢を見せた。

『特に、』 終わりかと思ったら館内放送は続いた。
心なしか、ドスの利いた声に変わった気がした。

『ひるへようがあった奴は、報告して貰う』

 

整備担当のおじさんには旅行男から連絡してもらい、予算の話とやらが終わるまで銀時は中広間の前で待っていた。
襖の向こうから高杉の声が聞こえる気がしたが、内容までは分からない。
廊下にも暖房が効いているようで、暖かった。
壁際に胡座をかいて座り込むと、あっという間にうつらうつらしてしまっていた。

ごす。
「った!…へあ?」
開いた襖が頭に当たり、目が覚めた。

「お前も、ご苦労だったな」
声を掛けられ、頭をさすりながら立ち上がる。文句までは気が回らなかった。
高杉の後ろから、ぞろぞろと男たちが出てくる。旅行男もいる。
お疲れ、と手を上げて見せると彼は力なく笑った。先程までの成功者オーラが消えてしまったと言うか、何故か少ししょげている。

「ひるへよう終わったの。つか何、ひるへようって」
部屋から吐き出された面々は顔を見合わせ、笑いを漏らした。
反対に、高杉からは黒いオーラが滲み出た。
「銀さん、」
そそくさと場を去ろうとしていた旅行男が、人差し指を唇に当てて苦笑いを向けてくる。

「悪い。減る費用、な」
銀時は理不尽な拳骨を喰らい、結局は高杉も含め皆で笑った。

 

「だっはっは!恥ずかし!高杉お前、超響いてたぜひるへよう!お前はっずかし!俺てっきり戦艦とか兵器の名前かと、ぶふー!」
静かな私室に通されても、銀時の笑いはなかなか収まらなかった。
部屋から蹴り出されそうになったところで口を閉じ、逆に高杉を捕まえた。後ろから抱き締めたまま畳に転がったが、どうしても思い出してしまう。
耳たぶに齧り付き、着物の袷から手を差し込む。
「良い声でなあ、」
いつもなら「鳴いてくれよ、なあ」などと続ける流れだが。
「ひるへよう、っぶふ、ふ、っくっくっく」

頭にたんこぶを重ねた銀時は、ぶつぶつ言いながらも高杉の後をついて回った。
どれも銀時が障子を張り直した部屋である。
「上手いもんだ」
二部屋見ても無言だったので、値下げなど切り出されたらどうしようと思っていたが、杞憂だったらしい。
ついでに機嫌も直ったようで、一件落着である。

「お偉いさん呼ぶの?」
「ああ」
「そっかそっか、これで大手を振って呼べるねえ」
ここぞとばかりに肩に手を掛け覗き込む。昨日は、団子の後そのまま別れたのだ。
お前は、本当は自分が思うよりずっと銀さんのことが好きなんだよね。知ってる知ってる。
証拠に頬がもう赤い。そっと唇を寄せて表面だけでさりさりと触れ合った。

「あっ、これ銀さんの荷物ですよ!」
嫌な予感。

「どんだけ貼り替えてるネ。長くね?」
「終わったって聞きましたけどねえ。さ、お邪魔になっちゃいけませんから。神楽ちゃんおやつ食べるでしょ?」
「いただきますアルー!」
「先輩、分かってるッスね?」
「何がです」
勘弁してよ早くあっち行ってよ。つか呼んだのお前かよ、と高杉を見ると目を逸らされた。
銀時を押し退け立ち上がり、格好付けて障子を開け閉めした。ように見えた。

「あ、忘れてたアル!その前に、」
良かった。一行の声は遠ざかりつつあるようだ。

「…子のまた見せてヨ!」
ひゅ、と息の漏れる音が聞こえた。
皆は知らないだけで、意外と表情豊かな男なのだ。はじめ驚きの表情だったが、見る間に鬼の形相になっていく。
「お前は、何を」
「っどぅへ!」
銀時は腰を蹴飛ばされた。凶暴な脚の持ち主は勢い良く部屋を出て行く。
いや別に俺が言わせてんじゃないよ。よろよろ後を追うと、噛んだアル、と照れ笑いする神楽が廊下にいた。
きまり悪そうな高杉、だから違いますって晋助様、と頬を押さえるまた子、以下略。
この後は、たまこ改め、また子の弾コレクション自慢大会らしい。

 

「何あれ」
「社会科見学するかって坊主に聞いたら喜んでたぜ」
じゃあまた後で、とあっさり置いて行かれた銀時の肩を高杉がぽんと叩いた。
見付かると慌てた癖に我ながら現金だと思ったが、実はほんのり寂しくなっていたところだ。

「武市には、よく言ってある」
「あ、ああ。ども。まあ実際ウチの神楽は大丈夫だよ」
「心配かけて悪いな」
「おっさんさあ、実際べたべた触るとか、変なことしないもんね」
「お前みたいにまさぐるとかは、ねえな」
「まさぐる、って」

変な言い方やめてよねとじっとり見返したら、まさぐられたのは銀時の方だった。
いやいや廊下じゃん、人来ないの?俺は総督様を信じるしかできないよ?
思ったが、振り解く気も起きなかった。
首筋にぴったりと当てられる手のひらが、熱い。このまま力を込められたら困るなあと思うと、何故か腰が熱くなった。
今日初めて、銀時の方が覗き込まれる。相変わらずまつ毛が目立つ顔だ。
目を閉じて大人しくキスを受けた。
ぐ、と銀時からも持ち上げ気味に腰を引き寄せると、二人とも熱いのがよく分かった。
決まりだ。

「風呂、入りてえだろ」
「ん?」
「貸し切りを頼んでんだ」
「ん」
そこまででもと銀時は一瞬思ったが、何となく意図が分かったので取り敢えず賛同した。

「お前からしろでふようって珍しいね」
「ああ?」

すかさず向けられる意味ありげな笑顔にしまったと思うが、もう遅い。
どいつもこいつも今日は噛み噛みだ。
まあ俺のが一番いかしてるけど、と銀時はこじつける。

「何だ銀時、今なんっつったんだ」
「いやね、だから、お城で。ええっと今から二人の愛の城で、銀さんは一生扶養されるのであった。めでたしめでたし」
「お前がされるのか」
「逆も可」
「悲しい夢は見ないに限るな」
「銀さん可哀想だろうが!なんだよ!少しは銀さんに夢を見ろ!」
「どんな」
「ああ、うん。決めたぜ俺は。俺さ、儲けたらさ、可愛いラブホをおっ建てる。それで儲けて、お前に城を建ててやる。まあ素敵」
そこで二人はいつまでも幸せに… 「決めた!俺五つ星ラブホのオーナーになるわ!名前も決めたぞ!ベッタベタなやつ、いかにもラブホなやつ」
「…今夜は、ウチの城で良いな」

「総と、っえ!?」
否定されなかったので内心驚いた。が、調子に乗ってがばりと正面から抱き締めたら、廊下の向こうで誰かが驚く声がした。
次の瞬間、銀時の頭には三つ目のたんこぶができていた。