攘夷~原作銀高
- 高杉くんお誕生日おめでとう企画2017
その宿営地には三ヶ月ほど留まった。
冬になると、存外雪深い土地だった。
ぽーん、ぽーん、ざす。
久しぶりの青空だ。
銀時は、広い雪原に点々と残された人の足跡を辿り、軽やかに跳ねていた。
雪から反射する陽光に、目が眩んでくる。
だだっ広いその場所は、何年も前は水田だったらしい。
つまり、少しくらい駆け回ったところで誰に叱られることもない。
「遊ぶなら、あそこに行くんだぞ」ため息交じりに桂から告げられた言葉に、銀時は小躍りしたものだ。
そんな姿を見つめるもう一人の幼なじみの目が酷くやさしかったのを、銀時は知らなかった。
飛び石ならぬ飛び足跡踏みを続けながら、銀時は秘密基地を目指す。
足跡を踏み外さずに辿り着けたら、きっと良いことがある。
しかし、一歩と一歩の間隔が意外と広く、正しく踏み続けるのは骨が折れた。
「俺のより短い癖に…っと」
「銀時テメ…何で俺が宣言したと思ってやがる」
「出掛けてくる、ってしか聞いてないね」
秘密基地あらためほら穴に着くと、予想通り先客から文句を賜った。
ただ、それも最初だけだった。
奥の暗がりには、もう彫られた字も読めない位ぼろぼろに綻びた大小の墓石が転がっている。
彼のほっそりした背中に続くと、墓石たちの数歩手前で小さなランタンの炎が揺らめいていた。
確かに、銀時がここで先客を訪ねるのは初めてだ。
時には静かな場所が欲しい。そんな意見に大いに同意し合ったが、探し当てた場所が重複していると知るや、高杉は随分不満そうだった。
そこで、片方が行くと知ったら他方は身を引く、として話は落ち着いていた。
「来て欲しそうな顔してたけど」
「チッ。…しねェよ」
「用事で遅くなるっつって出てきたし、あんま早くも帰れねえんだよね」
「…フン」
遠く冷たい青空、ところどころ眩しく光る、一面の雪。
並んで腰掛け、暗いほら穴から外を眺める。
銀時は、自分が今いるのは何処の世だろう、と不思議な気分になった。
目がちかちかしてきたのでほら穴の奥を振り返ると、意外なものが、居た。
「これ、高杉作ったの?」
「……」
手のひら大の雪うさぎが、墓石の一つの上に、居た。
返事は無い。
喧嘩の吹っかけも悪ふざけもする気はないと示すため、銀時は視線を外に戻し、真っ直ぐ前を見続けた。
「目。赤い実、なんだっけ」
「…南天」
「ふうん」
「銀時。今日は、駄目だ」
ああ、やっぱり。
銀時は、ここに来て良かったと確信した。
「あいつ。メガドライブやってなかったって。そらそうだろ。俺らのさ、内輪ネタなんだからさ、あんま言うと変に思われるから止めとけよ」
「……」
「本当はもっと、お前の取り巻き?鬼兵隊?の奴らと仲良くやりてえんだろ。はは、お前、俺らしか友達いなかったもんな」
「んなこたァ…」
「あいつ、でも言ってたよ。俺も、ちゃんと高杉さんのこと分かってますからーって」
「……っ」
銀時には、幼馴染が肩の緊張を解いたのがよく分かった。次いで、その肩は震え始めた。
鼻をすするような素振りが見えたが、少し迷い、銀時は結局黙っていた。
二人はそれから暫く、風の音、互いの呼吸や時折身動ぎする音を聞いて過ごした。
「ん…?あー、お前、また」
銀時が思わず口を開いたのは、隣から煙が流れてきたからだった。
「滅多に無ェ楽しみだ」
「心配してんの」
「っケホ」
「ほら、馬鹿でも風邪引くだろ」
「るせえ。…銀時、てめェ先帰れ」
「寂しくなっちゃう癖に」
「良いから、行けって」
「おかしくない?ここ先に見つけたの銀さ、…?、うぉ!」
「あァ?」
何かに驚いて動きを止めた銀時につられ、高杉も掴みかかる手を下ろした。
見ると、二人のいるほら穴から十米ほど離れた位置に、白鳥の群れが降り立つところだった。
まだ灰色の羽の、若い個体もちらほら見える。
その中の一羽と目が合った気がして、銀時は息を呑んだ。
しかし、それだけだった。
銀時たちを警戒するでもなく、餌をねだって寄って来る様子もない。
彼らはのんびりと、めいめいの足元を啄んだ。
「知らねえのか。よく来るぜ」
「俺、初めて見た。川にずっと居るんじゃないんだ」
「雪の下に何か埋まってんだろ」
「何が?」
「知らねェ。あいつらにしか分からない、匂いとかな。目印…何か、染み出してんだ」
「におい…」
また無言で白鳥たちを眺めるうち、辺りには薄青い光が満ちた。
山が近いため、日暮れは驚くほど早いのだった。
「帰るか」
ぽつん、とほら穴に響く幼馴染の声に、銀時の視界ははっきりする。
ランタンの油が、もう残り少ない。
白鳥たちも一羽、一羽と順番に飛び立って行くところだった。
短くなった高杉の煙草の火は、空き缶に詰めた雪の中で、じ、と音を立てて消えた。
「寒いしなァ」
振り返った顔は穏やかに見えた。
銀時は何だかほっとして、勢いよく雪原に飛び出した。
「タバコの缶、置きっぱで良かったの」
「牽制になるだろ。他の奴に見つかっても、獣に見つかっても」
ざく。
昼の陽で溶けた雪が凍り始めており、一歩跳ぶごとに響く音は、往路より随分と固かった。
ぽーん、とは今度はいかない。
「…銀さんには牽制とか、効かねーぞ」
ざく。
先を行く高杉が立ち止まる。
危うかったが、ぶつかってしまう手前で銀時もどうにか足を止めた。
「だから、来んじゃねェ」
また、跳び始める。
「先に見つけたの銀時くん!」
「俺だ!」
「どんだけ拘ってんだ」
「てめェがな」
「ほんとに、ああ言えばこう言う!もう、さみい!」
「銀時ィ、足、とっくに霜焼けだらけだな!」
「絶対なんない!お前のがなあ、超かゆくなるから!」
数歩跳ぶごとに他愛もない言葉を投げ合い、それでも夕闇に足跡が溶けてしまわぬ内にと、二人は仲間たちの元に帰った。
「…ぇ」
銀時は瞬きを繰り返す。
何を今更。鬱陶しいったら、ない。
そこには雪も白鳥も、何も無かった。仲間の後を追ってしまいそうな、幼馴染の哀しい背中も。
今あるのは、万事屋の壁のヒビだ。
眉間に皺を寄せながら、銀時は伸びをした。
「やだやだ。恥ずかし…」
雪の眩しさと冷たい風が、まだ肌に残っている。
あの頃、胸を焦がす熱は、銀時にとって正体不明のものだった。
全く忌々しい。
首を傾けると、すぐ側に件の男の寝顔がある。
何の染みもない、きれいな肌である。
ただし、首筋をよく見るとごく小さなほくろが二つ、三つ。
そこを狙い鼻息を吹きかけると、ぴくりと筋が動いた。
文句の一つや二つはあるだろうと身構え、銀時は暫くその顔を見つめたが、彼は起きなかった。
銀時は、大手を振ってその首筋に顔を寄せた。
此奴にとっても舞台はあっただろうか。
なら、それは何処だろう。
ぼんやり気になったが、眠りに覆い隠される方が、ずっと早かった。
彼の立派な陣羽織。
その右肩には、ごく小さな範囲の汚れがあった。
真相は俺だけが、と銀時は時折ほくそ笑む日々だった。
別行動などの前に抱き締める際、高杉の右肩に鼻先をこすりつけていたのは他でもない、銀時である。
当時には、秘密基地どころか寝室にまで、前もって宣言せずとも訪ねるようになっていた。
その朝も、銀時は「幼なじみ」を抱き締めてから部屋を出た。
後から思い返すと、気持ち悪いだ何だと、珍しく文句が無かったような気もする。
銀時は、斥候の部隊だった。
騒ぎを起こさず、味方の負傷者なく、安全に追手を振り払い戻って来るなら、…くどくどと念押しされた上で、積極的な活躍に関しても許可を受けていた。
全て言いつけどおりにやってのけた。
意気揚々と戻ると、宿営地は慌ただしい空気に包まれていた。
特に騒がしい部屋を覗くと、三日後に戻る予定と聞いていた、隠密部隊の面々が怪我の手当を受けている。
彼らは皆泥だらけで、怪我の無い者も、疲れ果てていた。
当の隊を率いて行った男の姿が見当たらず、銀時は焦った。
手当に走り回る桂をどうにか捕まえ尋ねると、「流石に疲れた」とさっさと人の輪を離れたらしい。
「目立って血も流していないようだったが…」
「桂さん来てくれ!止血が、上手くいかないんだ」
「…っ」
「頼んだ」
桂の肩を叩き、銀時は別棟を探すことにした。
高杉の姿は存外早く見付かった。
仏頂面で胡座をかき、板張りの広間の壁に寄り掛かっていた。
その光景に、どれだけ安心させられたか知れない。
「散々だったな」
隣りに座り目を覗き込むと、顔色が悪かった。
「…ヅラに言われなきゃ、俺はまた」
「お前、みんな連れ帰ってきたんだな。凄えことだ」
実のところ、銀時は自分自身を慰める気分だった。
此奴を宥めるのは俺だ。落ち着け。
きっと俺は、元気にしてやれる。
「よく帰ってきた。高杉よ、おかえり」
抱き寄せた身体は、珍しく素直に倒れ込んできた。
そのままがくりと項垂れる。
「ん…?」
嫌な予感に、そろそろと身体に手を滑らせてみる。
脇腹からぬるりとした感触。
思わず引いた手は、赤く濡れていた。
「お前!」
銀時は、自分の羽織を肩から引き下ろし、無我夢中で高杉の身体に回した。
「悪い、すまねえ…」
うわ言のように繰り返される掠れた声を聞くのが恐ろしくて仕方ない。
「気にするな、お前、お前は…っはぁ、馬鹿、は、あ、ったくよ!クソ!」
ああもう寝ててくれ。でも変なフラグだったら、寝かせたらまずい。
「悪い…」
怖い、怖い。
素直に謝る高杉なんて大嫌いだ、と銀時は思う。
顔色の悪さが、ますます酷くなる一方に見えた。
知らぬ間に、銀時は泣いていた。
「銀時は一等優しいんだ。なァ?」
元気になった当人から話題に出されるのは、都度いらいらした。
弱っている時はしおらしくて可愛かったのに。
恨めしい気持ちもあるが、やはりあんな姿を見るのは、もう二度とごめんだった。
「さいあく」
「俺ァ最高の気分だった、クク」
「お前ほんとにそれ糞だからな、腹、塞がんなかったら死んでたからな?…ったく」
背を向けたところで、銀時は項を突付かれ跳び上がった。
「ひっ。…んだよ!?」
「血、取れねえなァ」
気の毒そうな声に、ぴんとくる。別に気にすることじゃない。
お前がこちらに戻ってきた証。大切な、しみ。
「血?ああ、誰も気にしねえよ。…お前が銀さん好きで見過ぎなだけだ」
「仕立て直さねェか?」
「要りません。まだ全然着れるしね」
「そうか。それなら、…」
「真っ赤に染めるか?」
「…いや。銀時、…。血はな、熱い湯で洗うと、効くらしい」
「風呂の残り湯じゃ温い?」
「!…さァな、どうだろうな」
「実はさ、お前の手当やり直してもらったあと、すぐそうしたんだけどね」
「へェ。そりゃ…残念だったな」
血の染みが消えることは無かった。
消えないそれを見るたび、銀時はこっそり安堵するのだった。
もうとっくに陽は高く、何処からかセミの鳴き声が聞こえてくる。
かつて鼻の脂を擦り付けていた場所、今は直に肌に触れられる訳だが、そこを肌掛布団の隙間から覗いてみる。
そこには何の痕もない。
覚えたての頃はよく付けたが、キスマークも、もう何年もやっていない。
上手くできると単純に面白く、そこかしこに付けた時期もあったが、明るい陽の下で見ると恥ずかしいもので、すぐ飽きたのだった。
「久々に、付けたいような…?」
浮き出た喉仏に指を滑らせ、できるだけ皮膚の柔らかそうなところを狙い口を開ける。
「…よォ」
「お、はよ」
ゆっくり瞬きをした後、真っ直ぐな眼差しを向けられ、少々たじろいでしまう。
ただ、次の言葉にはもっと驚かされた。
「さあ起きるか、銀時」
「えええ…」
布団の外には、脱ぎ散らかした二人分の着物が山になっており、つまみ上げては順に手にした。
あ、俺のパンツちょうだい。ねえ帯取って。チッ…。
ぽとり。
じゃれて取り合っていると、何かが転げ落ちた。
それは四つ折りにした手のひら大の厚紙だった。
「あァ、俺んだ」
寄越せ、と差し出された手のひらに載せてやる。
「何?見してみなさいよ」
「……」
「新装オープン。あ、この辺知ってるわ。通りで配ってた?」
「酒ってな…」
「へえ、新しい店。なになに、お好きな日本酒一杯サービス。ぶ、意外と見てんだな」
「あと、見ろ。右下」
「ん?」
「違ェ、裏。そう、それの右下」
「コレ?お誕生日特典…パフェ!でも今日は銀さんじゃねえだろ」
「ここにいるだろうが」
「食べたいの?」
「お前が食えば良い」
「えー…。うわあ」
昔と同じだ。胸の奥がどうにも甘ったるくて困る。
「暑ィ。風呂、借りるぜ」
「待って、銀さんも」
「ん」
差し出された手に、広告を戻す。
「…っつ」
「あらら、かわいそ」
見ると、かさかさと広告を畳もうとした細い指に、薄っすら血が滲んでいた。
綺麗にイッたもんだ、と銀時は眉を潜めた。
普通にしている時の小さな怪我のほうが、地味に痛かったりする。
それが見る間に米粒大の紅い玉になり、ぽと、と着物の上に落ちる。
銀時の着物にだ。
白に、赤。
それはごくごく小さな点だったが、目を惹く鮮やかさを持っていた。
「ん、悪ィ」
指先は、当人の赤い唇に吸い込まれてしまう。
ふ、と笑われる。
無意識にじっと見つめていたようだ。
「安心しろ、これぐらいならすぐ取れるから。…お前こそ何だ」
「う、うん。えっと、お湯に浸けてくるね。あと絆創膏」
「銀時それ、湯で洗うと固まって取れなくなるぜ」
「…逆でしょ?」
「湯は駄目だ。常識だろう」
「そうだっけ?でも、あれ?」
何だろう。この違和感。だって洗う時。
洗う時。…最後に自分の血汚れを洗ったのはいつだったか思い出せない。
怪我をして帰って来ると、いつの間にか新八が綺麗にしてくれる。
ねえ高杉くん。
「血ってさ、昔さ、」
一つきりの瞳が、大きく開かれる。
格好つけてか知らないが、高杉の首は傾いでいることが多い。
故に、こうして彼の目を真っ直ぐ見つめられるのは珍しい。
仰向けになっているところを捉え、こちらを向かせる時などは別だが。
うふふ、とつい漏れてしまう笑いに、ちょっと嫌な顔をされる。
どうやら、見落としてきたものが沢山あるのかもしれない。
そんな可能性について考える日が来たような。
『血はな、熱い湯で洗うと…』
大嘘を口にしながら、この男はどんな顔をしていたのだったか。
言葉はよく覚えているのに、表情が思い出せないのを歯痒く思った。
「行くんだろ!パフェ!」
人を急かす癖に、顔が赤い。
さっさと部屋を出ようとする背中を、銀時は笑って追った。
銀…自分が相手にマーキングしていたのはしっかり覚えています。
てへへ、とたまに思い出します。
その印象が強く、実は自分もマーキングされていたなんて想像したこともありませんでした。
高…祝われに来てはみたものの、して欲しいことも特に見つかりません。
じゃあ自分の誕生日特典を銀さんに使おう。
笑顔が見たいかな、てへへ。
なんてこっそり浮かれていたらボロを出し、10年ぶりに真相が明らかになります。