勝手にロボ編・後

君が先か。
あっさりしたものだった。
置いてけぼりの寂しさを感じ、いったん身体を起こす。
湯、ドライヤー、衣擦れ、戸の開閉。それきり。
俺がさっさと出た方が良かったかなあ。それこそ「兄貴」らしかったんじゃないかしら。

こういう種類の気持ちは、例えばトシなんかは俺の知らないうちにあれこれ経験してるのかなあ。
状況がちょっと違うか。
だって何もしてないもの。

不思議なことに、この部屋には時計が無い。
いま俺は静かな小箱の底に寝そべっている。
とても自由で、帰りたい時に帰れば良くて。
自由すぎるのは少し寂しいな、とふと思った。

 

「アンタ、それで良いのか?」

昨夜だから、まだ半日も経っていない出来事である。

 

『男もお気に入りの香水の一つや二つ…』

万事屋の言葉に、後ろめたさを覚えたのは事実だ。
侍はそんな軟弱なことしませーん!って強がってきたけど、興味はあった。
頼れば、優しい部下たちは必死に一緒に考えてくれるんだろうと、何となく想像も出来た。
色気づきやがってと小突きながら、きっと嬉しそうに。
しかし腐っても俺はリーダーだ。
まずは自分で頑張ってみたい訳なのです。

お気に入りってのは、決して段ボールから見付けるものじゃないんだろうけど。
まあ、ありがたい機会ではあった。
青空市を抜けた愛しのあの子の背は、ゆっくり小さくなっていく。
それをぼんやり見送ったあと、懐から小瓶を取り出してみた。

小さすぎて、おもちゃみたいだ。
シュッ、て出来ない。小さな蓋を落としてしまわないように、慎重に慎重に回す。
開けるとすぐ中の液体が見えて驚く。
えっ、こんな感じ?シュッてしないならどうするの?
帰ってトシに聞こうか。…駄目じゃん俺。
知らずにがっくり落ちていた自分の肩に気付き、くそー、と思う。

くそー、くそお。
両手を青空に突き上げ、下ろす。
ついでに肩をぐるぐる回すと何だかすっきりした。

そして、大好きなあの子と向き合うために、今日は俺自身を満たしましょうデーにしようと思い立ったのだ。

行ったのは、バッティングとかつ丼とスーパー銭湯。
なあんだ、と笑わないで欲しい。誰が何と言おうと、俺は満たされたのだから。
自分だけのために使う休みは、久しぶりだった。

あと、香水について。
これは降って湧いた幸運だった。
スーパー銭湯でドライヤーを使っていると、隣に若い兄ちゃんが立った。
俺は腰タオルで先にドライヤー派、兄ちゃんは先に着ちゃう派と見た。
その彼は、懐から丸い小さな陶器を取り出して、ささっと何かした。
おまじないみたいな動き。手首、膝裏?
と、ふわんと甘い香りが漂う。
なるほど!「そうやるんだ!」
やべ。
顔を上げた彼と目が合う。

「びっくりした。はは、目にゴミ入っちまった」
嫌そうでもなく、彼は片目をこすりながら笑った。

「あ、えっと、すみません」
「…いや。あんたは好かないか?」
「好かなくないよ!ただ、使い方よく分かんなくてね」
「小瓶なんかなら、蓋開けてこうやって(と言いながら彼はそれらしく手を動かして見せてくれた)押さえて、指に付いた分を肌に置く。ほんの少しずつ」
「へええ。ふうん…なるほど」
「じゃ、な」

俯いたまま低い声で教えてくれた彼は、最後にこっちを見てそっと笑った。
「ど、ども。ありがとう」
ちょっとこっちが照れちゃうような、綺麗な兄ちゃんだった。

ロッカーに戻り、着物を着て、兄ちゃんの教えに従う。
いい匂い。
うふふ、と思った。
一人でお酒なんかも、ちょっとだけ、して帰っちゃう?

 

そして立ち寄った酒場で、奇跡の邂逅が起きる訳である。

こちらでも?ええもちろん。…で通されたカウンター、隣は紺の着流しの男。
席に着くと、甘い香りがふわり。

「スパ銭いたよね?」
こっそり横顔を盗み見るとビンゴ。声を掛けずにはいられなかった。

「その匂い…ぎ、」
「お陰様で、デビューしちゃった。付けすぎかなあ?」
彼はそっとこちらに顔を寄せ、元の姿勢に戻る。何故か緊張してしまう。
「…良いと思うぜ」
「えへへ。あ、おじさん、生ください」

うるさそうなら黙るし。一杯飲んですぐ出れば良いし。
飲み屋で友達が出来たら楽しいな、と浮かれかける自分に『待った』。
しかし「俺あ、もう酔ってる」とのこと。 「どうせ忘れるから、愚痴でも何でも、話してくれよ」
杞憂だったようだ。彼は自分の徳利を傾ける。
「あらら」
注いであげようにも間に合わず、酒はお猪口から少し溢れた。
「チッ。ほらな。でもまだ、大丈夫だ」

 

気付くと俺は恋バナなんてものを展開させていた。

「それで良いのか?」
考えたことなかった。
「うーん。もう暫くはこれも楽しいかなって」

…嘘じゃない。口から出て初めて俺そうなんだよな、と認識したのだった。
男ってのはロマンチストなのよ。

「あんたとはガキの頃に会いたかったぜ」

君みたいな系統の子、居なかった気がするなあ。同じクラスだったとして、友達なれたかなあ。と口には出さないけれど。
タバコを挟む彼の指先を、ぼんやり見つめた。細くて女の子みたいだ。
店の天井は、屯所のそれより更に低い。

ああ俺はいま防御を考えていない。
得体の知れない男と肩を並べてほろ酔い中。大人になったなあ。
いま俺が怖いのは、自分の恋心を否定されることだけで。
本音。あの娘のことを考えるだけで、やっぱり幸せ。

「良い話じゃねえか」
満足そうに目を閉じて頷く彼。からかわれているとしても、不思議と悪い気はしなかった。

仕事の話なんかはしたくなかったので、職業については聞かなかったし聞かれなかった。
故郷の友人とした喧嘩の話なんかはした。彼自身、今は随分大人になってやった状態、だそうだ。
他には、先生に叱られた話とか。

「あんたは、いかにも兄貴分だもんな。男ぶりも良いのに勿体ねえ話だ…」

呟きながらカウンターに突っ伏してしまうので苦笑する。
俺が見ている間、彼が酒を頼んだのは一回だけだった筈だが。

「出よっか」
彼を促して外に出ると、肌寒かった。
夏はまだかなあ。『近藤さん、梅雨が抜けてまさあ』…昨日も言われたんだった。

「家近いの?帰れる?」
「あ、ああ…。友達んとこに泊めてもらう筈だったが、今日は急用って言われてんだ。安宿に泊まる」
その肩に手を添えて覗き込むと、意外とはっきりした返答があって安心した。

「そっか、残念だな。ん?あれ、この辺のひとじゃないんだ?」
「言わなかったか。…そいつんとこに、こうやってちょくちょく遊びに来る」
「ふうん、仲良いね」
俺たちは、ずっと一緒だからなあ。会いに行く友達がいる、ってのも悪くないな。
「来たら何日か泊まるから、良いのさ」
「宿ってどっち?」
「その辺で適当に」
「えー大丈夫かな」
「そうだ」
彼が立ち止まるから釣られて俺も歩みを止める。
「あんたも一緒に来いよ。宿で飲まねえか。俺は勝手に潰れるから、後は逃げると良いさ」
「逃げるって」
「酔っ払いの相手なんて、骨が折れるだろう」
「ははは。お言葉に甘えて、程よく、な」

 

店での飲み始めが早かったので、宿に着いても、まだまだ安心して飲める時刻だった。
ただ、チェックインでは少しもめた。

「お客さん、うちはそっちの方々はお断りしてるんだけど」
「…えっと」

一瞬、何を言われているのか分からなくて戸惑った。
やっぱりラブホじゃん!
違う違う、そうじゃないんです。走馬灯のように、情けなく慌てる自分の幻の声が頭に響き渡った。
しかし実際に何かを話す前に、隣の彼が言葉を繋いでくれた。

「帰る足も金も無くて」
「あ、そう、そうそう、酔って喧嘩して、なんてのもしませんから」

ああ、そう。空いてるから、ま、どうぞ。
受付で、小窓の向こうに座るおじさんは苦笑して通してくれた。

部屋は、懐かしい感じの温泉みたいな、ごく普通の和室だった。
来る途中コンビニで買った飲み直しセットを低いテーブルに並べる。
「こういうの、素敵だねえ」
わくわくする。
「ありだろ」
嬉しそうに日本酒の小瓶を開ける彼、俺は缶ビールのプルタブを起こして、 「「スパ銭会に乾杯」」

ちょっとぼかして、俺は「年子の弟と、かなり離れた末の弟の仲が悪くて」と愚痴った。
彼は笑っていた。
「そんでさ、女の子なんだけど」
実を言うとこっちが本題。
マジで聞いてくれる?と目を合わせると、おう、と彼は頷く。
嬉しくなっちゃうよ。
ちゃかさず適度な気軽さで、こんな風に聞いてくれる友達が、ずっと欲しかったのだ。

「暫くちゃんと付き合ったりしないと、何か分かんなくなってくるんだよね。付き合わないからもてないのか、もてないから付き合えないのか、ケツ毛しょんぼりのデフレスパイラルみたいな」
「クッ…」
彼はテーブルに突っ伏してしまう。
ここからが良いところなのに。まさか寝落ち、と思ったらその背中が小刻みに揺れている。身体、細いなあ。

「ク、ククッ、あんた本当勿体ねえよ。適当に、いや適度にな、誰かと仲良くしてみたらどうだ」
顔を上げた彼の片目が、ずっと閉じたままなのに今更気付く。片方の前髪が長いな、とは思っていたけど。

「浮気って怒られちゃうよ。目、まだ痛い?」
「これは、むかし喧嘩して怪我したんだ。古傷だから問題ない。ククッ、浮気っつってもなあ」
「そうなの?うん、まあね、うん…」

ここの天井は、屯所くらいかなあ。

「彼女いる?」
思い切って聞いてみる。彼は、はあ、と息をついて横を向いた。
ふうん。

「うらやまあ…」
「随分長えんだ。俺も、よく分からなくなる」
「な、何が?」

突っ込んだのを早速後悔する。
人の幸せをにこにこ聞けるようになるには、俺にはまだ幸せが足りない気がした。

「世の中いくらでも人はいるのに、不思議なもんだ」
「アツいよ、アツすぎる」
「…俺あ、おかしいんだ。もう逃げられねえように思うのが、たまに怖くなって、やっぱり悪くねえって思うんだ」
「何これ!俺が恥ずかしいよ!わああ!」
「助けてくれ!」

がばっと顔を上げた彼が、泣きそうな顔で飛び付いてくる。
それを抱き留め、二人で背中をさすりあいながら、うわあ、やべえ、うあああ、と訳も分からず盛り上がった。
まあ酔っ払いである。
首筋からはいい匂い。彼に想われる子は、幸せ者だろうな。
名前も知らない恋人たちを想像して、ちぇ、と思わなくもない。
ん?違和感を感じる。いつの間にか彼の動きが止まっていた。
ギブアップかしら。

「そろそろ俺、帰ろっかな」
肩を押して引き離すと、逆に甘えるように擦り寄ってきて可愛いと思ってしまう。

「駄目ですよ、寝ましょうね」
ってお妙さんに言われたいなあ。

「…んとき」
「ん?」
「あんたの香水、なんてえんだ?」
「ごめん、分かんないや。貰いもんで」
「この匂い、好きだ」

君のも、いい匂い。
「よしよし、寝ようね」
「あんた、死んじまった先生みたいだ。なあ、あんたんとこの末の弟だと思って寝かし付けてくれよ…」
どこか必死な目に、どきりとしてしまう。
なん、何なんだ、俺は違うぞ、いくら色々ご無沙汰だからって。
あわあわする俺に、とどめが刺される。

「確かに俺は両刀だが、違うからな」

ひ、っと背がすくんだ。ぞわぞわぞわ。
え、え?
酔っ払いは、早く寝かさなきゃ。

「あんたと仲良くしてみたかった」
くく、と無邪気な笑顔。
「え、っと。ありがと…?」

結局、何故か同じ布団に二人で入り、甘える彼を胸に抱いて寝た。
よおし、よし。
小さな子みたいに安心した寝顔。この経験は一体なんなんだろう。

朝帰り。は意外と珍しくないので心配もされないだろう。
どこかの天井裏とか床下じゃなくて布団の中ってのは、たぶん誰も想像していない。
だけど久々に抱き締める誰かの体温は心地よくて。
いつしか俺も、寝入っていた。

 

こうして、奇妙な喪失感の朝はやって来たのである。
別に何でも無いし、と言えばそうなんだけど、なんか、なんか。
物凄く恥ずかしい。
こういうドキドキは、久しぶりだった。

 

「お、ゴリ」
朝の公園で、銀時は知り合いの姿を見付けた。呼び掛けたが相手はうわの空だ。

「近藤!」
分かりやすく呆け顔である。
「ひでえ」
ぼんやり宙を彷徨う目に光が差し、こちらに焦点が合うまでたっぷり待たされた。
「どうした」
心配して歩み寄ると、嗅ぎ慣れた匂いがして内心ぶっ飛ぶ。

「さ、最近さあ、時給あれ一本で、お悩み相談業も考えてるんだけど」
銀時は自動販売機を指差した。あれで良いや、飲むチョコレート、だってさ。
依頼を受けるではなく、自分がする側になっちゃったらどうしよう。
しかし勝者は好奇心だった。
「…かな」
「ん?」
「お願いしよっかな」

二人は木の下にあるベンチに並んで腰掛けた。
お前、香水付けてる?急に色気づいちゃってどうしたの?
その匂いすげー知ってる気がすんだよ、もしかしてさ、片目の男と会ったりした?
まさかのまさかだけど。ついさっき大物攘夷志士を捕まえたりした?
ぐるぐる悩むも、口から出たのは「最近どうよ」の一言だけだった。

「万事屋、俺さ」
「うん」
「ちゃんと、恋、したいなって」
「え…」
揃って無言。

「昨日ちょっと暑かったもんな」
「正気です」
「な、何があったんだ?」
「あったようで実際なんも無いんだけどさ、恋って良いなって」
「お前のストーカーは、愛なんだろ?」
「んん、うん、ううん…」
「他に出来たとか言わねえよな?」

銀時にとって、非情に嫌な想像が立ち上がる。

「無い、違う。ううん、俺、自分も大事にしようって思ったんだ、よく分からんが」
「そ、そか」
「ありがとう万事屋」

妙な独白を言い置いて、近藤は去って行った。
一体何だってんだ?狐につままれた思いだ。
銀時は呆気にとられ、暫くぼんやりしていた。

 

『俺、そこで寝て待っていても良いか?』

ベンチに残された銀時は、前日の出来事を思い返していた。

確かにそう言っているように見えた。
さあ屋台の食べ物を見に行こうと立ち上がるも、たかロボの動きは鈍かった。
心配すると、がさごそ音を立てながら、身振りで希望を伝えてきたのだった。

「お前、腹は?」
つられて銀時も手振りを付け加える。

『要らねえ。気にせず行って来い』

手を振ると、たかロボは出店の影に座り込んだ。
その姿勢しか取れないのか役に徹しているのか謎だが、彼の直角な姿勢は道行く人々の笑いを誘うのだった。
太陽が真上に来たおかげで、彼の座る位置には立派な木陰が出来ていた。

銀時たちが腹を膨らませて戻ってくると、たかロボはスリープ状態だった。
「帰るぞ」
銀時に小突かれ、のろのろ動き出す様子は心底面倒そうだった。

からくり修理を頼まれた源外と自称「出来過ぎ助手」の神楽を残し、会場を出ることにする。

「後で打ち上げしようネ。またネ」
日傘と水分補給を忘れずに。銀時の言葉を受け流した神楽は、たかロボとだけ手を振りあった。

 

青空市を出ると、銀時は懐から小瓶を取り出した。
当人達も気付かない全くの偶然であったが、それは近藤が持ち帰ったものと同じ銘柄である。
何が何だか分からねえくせに。タダってんで食い付きやがってみっともねえ。
たかロボの小さな悪態もどこ吹く風、銀時は小瓶を開けた。

「へへ。どう?」
「付けすぎだ」
「お前こう言うの好きでしょ。今度さ、似合うの俺に選んでよ」
「良いんじゃねえか、それで」

もう少し居眠りを続けたかったのだ。
たかロボは怠くて適当に返す。

「ご機嫌斜めですか。今日は、ありがとうな。もうロボット脱いで良いんじゃない?」
「お前な。さっき真選組居ただろう。しかもありゃ局長じゃねえか」
「ストーカー出勤だから問題なし。ビビってたんだ?」

たかロボは、妙にかちんと来た。
疲れと空腹は絶対悪だ。不要な争いしか生まないものである。

「ケムリも出来ねえ、ロクに動けやしねえ。中は蒸す。俺は死んじまうかと思ったんだぜ」

流石に嘘である。そんなにヤワには出来ていない。客に笑顔を振りまく姿が眩しくて、少し目がくらんだのは、ある。一種の日射病だ。
ロボットの回路と熱は、相性が良くないものだ。

銀時は、今どうこうするのは無理だと薄々ながら悟っていた。
しかし売られたものは買う関係性は、死んでも直らないもので。

「だから俺言ったじゃん。カッコつけて普通の着物着たまま入るのも悪いよ。大人しく薄着でさあ、もう全裸で入ってりゃ良かったんだ。そんでセックスしなきゃ出られないーみたいなさあ、ブハハ、エロ杉」

しなきゃ出られない、は桂から聞いた話だ。
「お前の寝室は、あれか、セックスしなきゃ出られない部屋ってやつか?」
藪から棒に変なことを言うから、いちごミルクを吹いたものだ。
「な、何よヅラくんやめてよ外見て、ほら、まだ明るいから」
「オタクの間で流行ったらしいぞ。ネットで見たんだ。さては図星か。よくそう毎回毎回にゃんにゃん…」
「うるせえ!馬鹿!最悪!ほらヅラくん見て、わんわん居るよ、撫でてあげて、ほら、定春う」
「お前たちがにゃんにゃんしてる間、定春くんはわんわん言わないのか?たまにはわんわん言いながらしてみるのはどうだ?」

…… 「銀時。お前は今、言っちゃならねえことを言った」
低い声に、我に返る。
後悔するも時すでに、である。

「お前ほどじゃねえがな、俺あ利口に出来てねえんだよ!」
声を荒らげた後、いかにも怒っていますな動きで背を向けるロボット。

「あ、ちょっと。一人でどこ行くの。迷子になっちゃうよー?」
「誰がだ。後は好きにさせてもらうぜ」

身体中の段ボール箱はどうすんだ。まあ俺の知ったこっちゃないが。
ふん、と銀時も反対方向へ向かって歩き出す。怒声が追ってこないか聞き耳立てながら。
…なかなか来なかった。
って「ぶへ!」
背中に衝撃を受け、膝をつく。こんのお。
むかし不意打ち禁止協定結んだよね。
そんな理不尽に屈することもない皆のヒーロー銀さん正に俺。
両の手のひらでアスファルトを押して颯爽と立ち上がるのだ。
がす。
…そう上手く事は運ばず、初夏の風を切った筈のふわ髪は、厚紙の一面に突進していた。

そのまま、自分が立ち上がる勢いも手伝って、すっぽり被せられてしまう。
どうやら先程までたかロボの頭部だった代物だ。息苦しい。

くそっ。
二度失敗した上で、やっと頭上の段ボール箱を取っ払う。
視界が晴れたところで、それの元持ち主はもう、横断歩道の向こうの角を曲がるところだった。

銀時は頭をぼりぼりかいた。
香水を付けた身体とは反対に頭はむわっとして、我ながら汗臭い。
まだ春だと言うのに日差しがじりじりして、色んなことが嫌になってくる。

「勝手に拗ねてろ!バーカ!」

 

それから一晩、連絡無し。
つまらない喧嘩をしたものだ。

思い返す程に馬鹿らしくなって、もうどうでも良いから触りたい、と思うのだった。
すると、後ろからやって来た誰かが隣に座った。
甘い、匂い。
当たり前のように消えたり出てきたりしないで欲しい。

「よお。ご機嫌いかが」
「悪くねえ」
「羨ましいわ」
「お前は」
「まあまあ。ついさっきまでクソだったけど」
「何よりだな」
腿に置かれる手の重みが嬉しくて、悔しく思う。

「ねえ、高杉くんのプンスコ源のどっかのおまわりさんがさ、恋したいなとか気持ち悪いこと言ってたけど。心当たりある?」
美味そうにキセルを一口。だんまりですか。
「ハッ。お前に切れてただけだ…いや何も」
「俺さあ、自分でもどうなのって思うけどさ、向こうに同情しちゃうかも知んない」
ふう、ともう一口。

「恋か。そりゃ難儀なことだな」
「…もっかい作ってよ、ドーナツ」
「ふうう」
煙の小さな輪が宙に浮き、すぐ風に消えていった。
「上手いじゃん」
「その次の方が、もっとだけどな」
「何?何の次?」
「下心の次は真心って言うだろ」
「は、はあ?こっ恥ずかし。お前おかしいよ何時にも増して。つうか難儀してんの100パーセント銀さんだし」

言いながら銀時の手は隣の腰に回る。代わりに、肩に腕を回される。
良かった。迷子にならなくて。

「タバコは不味くてかなわねえな」
「別に違わないでしょうよ」
「キセルはな、甘いんだ。美味いぞ」

周りを見渡すと、人目は無い。けやきの木の反対側で老女が二人お喋りに興じているくらいだ。
どれ。ん。
何でも無い風に首を傾けると、すぐ通じる。それだけで満足してしまう。

「って吹き込んでくんなよ!ペッ、ペ!」
クク、と忍び笑いが追いかけて来て、やはり銀時も少し笑う。

「ロボットはどこで脱いだの?」
「お前と別れてから、どっかの小屋の陰で」

想像してしまう。
建物の隙間でがさごそ言わせるロボットから、蝶が生まれる。
生まれたての彼は、己の抜け殻を蹴飛ばそうとするも一瞬考えるのだ。
そうして動きを止めたかもしれない。

「畳んだ?」
「だったら何だ」
うふふ。笑いが込み上げてしまう。

「しなきゃ出られない部屋、知ってる?」

疑わしげな視線が突き刺さる。
「あ、ごめん無しで」
「出らんねえよ」

途中で遮られ、少し驚く。
顔を上げると、こちらに優しい目が向けられていた。

「してもしなくても、もう出られない所にいんだよ」
暫し無言で見つめ合う。なんだ。
言わんとすることが分かったような、恥ずかしすぎて、分からない方が良かったような。

「…意外と今時の話題も知ってんのね」
「最新ロボだからな」
「うるせえ馬鹿」