公園で一服。
木製ベンチの、アーチ状の背もたれに沿って空を見上げていた。良い座り心地である。
これからの新しい世が、こんな椅子だらけになるって約束してくれるんなら、喜んで援助でも何でもしたい気分だ。

「ふんふんふーん」
どこかで聞き覚えのある低い声がハミングしている。空耳だろうか。否、きっと大正解。何と言っても、この街は彼の庭なのだ。

素知らぬふりで目を閉じたまま日差しに暖められていると、鼻歌はだんだん近付いてきた。のし、のし、と大きな足音も一緒だ。それがすぐ左隣に来た、と思ったところで、ぴたりと止んでしまう。
ゆっくり目を開けた。目に突き刺さってくる明るい水色、と、木漏れ日。
かつて左目があった場所、その奥底にも暖かな春を感じる気がした。

「ぶふうー」
それも束の間の感動で、視界はすぐに人影で覆われてしまう。人影どころか人そのものである。馴染みすぎてしまった、体温と匂い。

「…本物だよな」
「そっちこそ」
「新手のテロだとおっかねえ」
「銀さんのお、ハイテクサイバー攻撃、っつって」
酒の匂いがしないのを不思議に思った。ついでに血の匂いも無し。満点だ。
「退けよ」
「今ねえナノマシン注入中。もう、お前は俺の言いなり」
「残念だったな銀時、俺は抗体マシン入れてんのさ」
「知ってる?金色の闇ちゃん」
「うちの来島のほうが良いだろう」

覆い被さる身体が退く気配は、ない。話しながらずるずると下がっていくのが気になった。
「着物、ずれる」
互いの腰の獲物が変に引っかかり合っているのが邪魔だ。

「やっと捕まえたと思ったのにさ」
にあ。
小さな鳴き声がした。彼の足元からだ。
「そのまま出掛けるからってさ、今度はお守りなの」
み。にい、に。
「ま、追加請求も、良い感じにいけそうなんだわ」

 

万事屋として銀時が預かってきた子猫は、籠から出て定春と直接対峙しても全く臆さなかった。
むしろ怯えたのは定春の方だ。猫探しに駆り出されたは良いものの、専ら小回りの効く銀時の足としての活躍に徹したらしい。
はじめは見慣れぬ小さな生き物から距離を置いていたが、神楽の仲介のお陰ですぐ慣れた。
「よおし、よし。ピイちゃん、何か面白いこと覚えないかなア」
慎重に抱く神楽の腕の中で、子猫はチャイナ服の袖に短い爪を立てていた。
「こらあ、私の一張羅アル」
それでも小さな身体を潰してしまうのが心配なのか、神楽は自分の手では引き離せないのだ。全く、なんと目に優しい。

「文鳥みたいな名前付けるんだな」
小さな前脚をそっと布地の引っ掛かりから離し、抱き上げてみた。取らないでヨ、などの文句に内心身構えたが、神楽は何も言わなかった。
柔らかく長い毛をした三毛猫である。ソファに座って両手で脇下から持ち上げ、丸い瞳に目を合わせる。つやつやの煮豆がはまっているみたいだ。
み。小首を傾げ、小さな舌が自分の口周りを舐めた。
ついてきた新八と神楽が、背もたれの後ろから覗き込んでくる。
「神楽ちゃん、もう何号か分からないもんね」
「分かるアル!多分三十号くらい…でもピイちゃんアル。ピイって鳴くから」

「さて。そろそろ支度しねえとな。今日のスケジュール覚えてる人?」
俺は子守りならぬ猫守りだろうか。銀時の言葉に、思わず口元が緩んだ。
「あっ、今日のは行きたいアル。ピイちゃん…」
「う、僕もです」
名残惜しそうだが、神楽は張り切っている、ように見えた。
「じゃ頼んじゃおっかな。ヅラも来るってさ。まかない時間になったら銀さんに電話するように」
「仕事してない奴はだめアル」
「もう銀さんしてきましたあ」
「それもそうですよね、って幾松さん関係ないですけどね」
「でも優しいから普通においでって言ってくれそうアルな」
何だろう。少年少女が進んでやりたい手伝い。
「今日は何の仕事なんだ?」
「ラーメン屋さんです」「終わったらチャーハン食べ放題アル!」
「町内会のプチ打ち上げで、昼から大口らしいのよ」

 

勤労少年少女を見送ってしまうと、思いがけずあっという間に二人きりの時間が訪れた。
み。
そうか、三にん、か。

「せっかくだから、しとくか」
「猫にも躾するもんなのか」
「多少はね、必要らしいよ」
子猫を抱いたまま、横から銀時に抱かれる。
朝の仕事してきた?本当はまだまだラーメン屋の手伝い、できた訳だ。
「仕事が途切れなくて、景気が良いなあ」
「最近そうなの。春だからな。引っ越しとかはしんどい」
みい。み。
「餌は良いのか」
「銀さんもご飯欲しいもん…」
みい。
あまりに甲高いから、ピイ、に聞こえる。ピイちゃんも、あながち間違ってはいないようだ。
「このままして良い?」
後ろ首を撫でてくる手のひら。俺も自分の手に当たる柔らかい毛をそっと撫でる。
でかい方を撫でるには手が足りない。なので唇でその首筋をなぞった。
み。みい。
向かいのソファにうずくまってうとうとしていた定春が顔を上げる。
たまらず俺も立ち上がった。
「銀時、餌だとよ」

 

子猫は一心不乱に小皿から餌を食べた。
一緒に入って一緒に買いに行けば良いじゃないって逆だわ、と主張する銀時を一人風呂に入れ、俺が買ってきたのだ。
にゃむにゃむにゃむ。何事か呟きながら平らげていく。喉をつまらせやしないだろうか、心配になってもう一つの、水を入れた小皿を顔の横に近付けてやる。
子猫は一度顔を上げ、口周りをあどけない仕草で舐めた。その後、こちらに気付いて水の小皿に顔を突っ込む。
心底ほっとした。

「昼寝しないの」
キャットフードの小袋に封をした銀時が、後ろから引っ付いてくる。珍しい。着流しをそのまま羽織った姿だ。
そうか、忘れていた。
「風呂…」
「良いよ、早く」
お前がそう言うなら。一応、出掛けにも身体は洗ってきたからな。

 

子猫は籠に入れ、一緒に寝室に連れて行った。
小さな牙を覗かせ欠伸をしている。
今日も、声には気を付けよう。

朝の仕事とやらには遅れそうだったのだろうか。
襖を開けると、乱れた掛け布団が目に入った。敷布団との間に、ひと一人が抜け出たままであろう空洞が残っていた。
そこに言われるままに腹ばいになると、腰に銀時が乗ってくる。そのまま背筋を押してくれねえかな。ちょうど良い重みと体温なのだ。
だがその手は背ではなく脇腹にやってきた。手のひら全体を押し当て、強く両脇を撫でさすられる。脇の下まで来た所で一旦動きを止め、指が伸びて着物を左右に開かれる。
露わになった肌を這い回る指のお陰で、息が熱くなった。

「そんな、しなくたって。ん。もう交代だ、やらせろ」
指先でぐりぐり押される乳首。自分の身体が期待に満ち溢れるのが分かった。
「何かしたいじゃん」
したいじゃん、とな。好奇心にしろ下心にしろ、自ら行動するたちとは見上げたものだと、俺は思う。

ありがたい「したいじゃん」を暫く享受した後、俺達はゆっくり繋がった。
実際はそうでもないだろうが、真っ直ぐ伸びた二匹の秋刀魚が折り重なっている姿に似ているのでは、と思った。
脚の後ろ側、腰、背中。それぞれの部位に、銀時の同じものが重なっているのを感じる。
と、肩に回されていた両腕が抜かれてしまう。できた隙間が肌寒い。
「ひぁ!あは、銀、おい」
前言撤回、これはたちが悪い。腕の行き先は俺の脇腹だった。
身を捩るも、下の秋刀魚になっていると分が悪すぎる。
「っふ、クハ、ははは…やめ、やめろ、っふ、あ、ん」
「よおし、ねこねこ」
「馬鹿、やめ、ん」
「ねこねこねこねこ…」
器用に蠢く指先にひとしきり笑わされた。
ふざけているというのに不思議なもので、身体は更に銀時を熱く感じた。

にい。
くつくつ笑いあって一息つくと、いよいよピイ、に聞こえる甲高い声。
おや起こしちまった、と口を押さえる間もなかった。何と子猫は籠を乗り越え、こちらに向かってくるのだ。
そのまま布団の側まで無邪気に寄ってきてしまい、力ない笑いが出た。
「煩くて、悪いな」
口元が寂しいからいけないのだ。だが布団も何も汚したくねえ。元凶はもちろん後ろのお犬様ではあるが、俺の自尊心やらが許さない。
「銀時、噛んでもいい手ぬぐいねえか」
互いの気が削がれないよう、彼自身をゆっくり締め上げながら聞いてみる。
「ええ?にゃんこ気にしてないでしょ、良くない?あ、そう。そういうプレイか。仕方ねえな、銀さんのお着物どうぞ、だいじょぶよ」
目の前に手繰り寄せられる白い着流し。後で丁寧に洗ってでもやるか。この俺の手洗いだぜ、と意味もなく笑いが漏れた。

そこで口を開け噛み付こうとするも、一歩手前で布地が逃げてしまうので驚く。
いや、反対側を子猫に取られたのだ。
顔を上げると、勇ましい様子で子猫が布地に戦いを挑んでいた。身体を後ろに引き、勢いを付けて飛びかかる。
「ちょ、破かないよね、それねずみじゃないからね」
これには流石に焦る銀時が、可笑しい。
相手が要るだろう。そんな心持ちで、俺も改めて大口を開けて齧り付いた。
「お前も破くなよ、やめてよね」
言う割に、心配事など何もない様子で力強く腰を振り出す。

「やう、む、ん、んん」
俺の声は銀時の着流しに染み込み、子猫は反対側で獲物取りごっこを続けた。
俺がくぐもった声を上げると、子猫は布を咥えたまま小さな頭を左右に振る。捉えた獲物を黙らせているつもりだろうか。
「はい解散、って凄くね」
中から銀時が出ていく感覚。それに震えて我に返ると、子猫も自分の籠に戻るところだった。

 

子猫を返して数日後、依頼主から電話があったらしい。万事屋さんってペットのトレーナーもできるんですか、とか何とか。
いいえ残念ながら、との返答と、またお出掛けの際はどうぞ、とだけ伝えて受話器を置いたと言う。
暫くすると、この子猫はちらほらとメディア出演をすることになる。

 

ヅラも万事屋を訪ねて来た夜のことだ。
偶然にも、例の猫が深夜番組で取り上げられていた。成猫になっても柔らかい毛は健在のようだった。
「はい、にゃんにゃん」
飼い主の声に合わせ、猫は咥えたハンカチを左右に振る。口の大きさに合うならどんな布でも構わないらしい。

「凄いだろう、ウチのサバカワさんちの猫なんだぞ」
自分のことのように得意気に話すヅラ。運の悪いことに、猫の飼い主というのはヅラの部下だった。
「面倒見たんだってな。万事屋は、俺が紹介してやったんだぞ。わんにゃん預かりますで仕事になるとはな。俺にも務まるだろうか。是非してみたいのだが。芸はそう簡単に仕込めるのか?定春くんの協力か?」
居心地の悪さを感じ、こっそり銀時を見る。口元がひくついていた。
「何もしてないって」
「じゃあ高杉か」
「銀時だ」
「知らない知らない銀さん何も知らない」
「やはりな。いくつになっても悪餓鬼だ。全く、悪い結果にならなくて良かったな」
察したようで、彼は察していない。
そういうことに、しておこう。

「天才ネ子役とはな。お前たち、何故この俺を呼ばなかったのだ。あの日、預かっていたんだろう。冷たい奴らめ。ああ、可愛いなあ」
心底羨ましそうな言葉に、ろくでなし二人は苦い顔をするしかできないのであった。