昨夜遅くに帰ってきた銀さんが泥だらけだったのはびっくりした。
血を出すような怪我はしていなかったからもう一安心してしまって、この位なら慣れっこの僕は適当に迎え入れた訳だ。

「もう。びっくりするじゃないですか、大丈夫ですか」
僕も神楽ちゃんも待っていたのだ。3人で毎週欠かさず観ている深夜のバラエティ番組、好き勝手な銀さんの適当な文句もとい笑えるコメント。
ささやかな楽しみだった。
始まるまであと1時間。銀さんの帰りが間に合って良かった。

「お風呂まだ温かいと思いますよ」
「ナイスぱっつぁん」
とんとん、足踏みしてブーツの泥を落としてから敷居をまたぐ気配。

「それにしても、何があったんですか」
言いながら振り向いた僕は、恐ろしい光景を目にしてしまった。

「たっ、たたた高っ」
「高杉さん、で良いんじゃない」
振り返った銀さんに促され、その人も、ああ、入って来てしまった。
「お邪魔します」
はあ。とさえ言える訳がなく、僕は口をぱくぱくさせるだけだ。
なんで。
「なんで?」
僕の言葉を代弁してくれたのは神楽ちゃんだった。
殺気は出さずとも唇を尖らせている。そうだ、これは神楽ちゃんじゃないと効果が無い。

「本当はいつも、いや大昔から、お前らの社長さんには世話になってるんだ。今夜は妙な真似はしねえさ」
静かな言葉を放つその人の笑顔は意外な程に優しかった。笑顔、と認めるにはとても控えめだったけれど。
それに絆された僕はもう何だかどうでも良いかと、迎え入れてしまった。

高杉さんも草履の泥を落として玄関に入って来る。とすとす、今度は少し軽い音。
「悪いが、俺も、借りる」
短く呟くと、その人は銀さんの後を追ってお風呂に向かった。
かたん、と引き戸が音を立て、2人が脱衣所に吸い込まれてしまうと一気に力が抜けた。

「新八ィ、やっぱり、もうこたつ欲しいネ」
背後に感じるささやかな重みと体温。実際この存在に何度救われたことか。
「そうだね…。高杉さんに聞いてみよっか?」
「頼んでみても良い?」
頼めるもんならだけど。でもちょっと…流石に今夜は2人で見ちゃおっか。
神楽ちゃんの背中を押して応接室に移動。内心、僕の胸はばくばくだった。

そろそろ、寒い寒いと言いながら3人で押し合いへし合い入るあれが恋しい季節だ。
「そろそろじゃね?」
「何がです」
「あれだよあれ、万事屋の結束を高める為に、寒い時期に必要不可欠な高機能リラクゼーションマシーン的な」
はっとして可愛い笑顔で飛びついてくる神楽ちゃん。
「新八ィ!」
僕う?
「まだ早いです」
僕だって面倒くさいもの。
そんなやり取りを数回繰り返し、妥協案として先週から古い毛布を引っ張り出してそれぞれくるまったりひざ掛けにしたりして誤魔化していたが流石にねえ。

テレビを点け、2人並んでソファに座る。
「新八近いアル」
気にしなくて良いの。僕は大切なウチの箱入り娘が心配なだけです。
間も無く見慣れた予告カットが入る。今週のお題も良いセンスだ。
本当はめちゃくちゃ怖い。万事屋も明日から過激派な、と銀さんが言いだしたらどうしよう。死活問題だ。
実際僕なんかよりずっと強いんだから問題無い筈だけど、それでも神楽ちゃんが連れて行かれるかもと考えると、凄く凄く嫌な気分だ。
「新八ィ、大丈夫?」
気付くと僕は、小さな肩を抱き寄せて震えていた。

「怖い事なんて、しねえよ」
「っギャアアアア!」
ぜえ、はあ。
僕の肺がまともに酸素を取り込めるまで暫く掛かった。
恐る恐る後ろに首を回すと、困った顔の高杉、さん、と、一歩下がった位置で両手を口に当ててこれ以上ない程に腹立たしい顔で笑いを堪えている銀さん。
銀さんはいつもの甚平で、高杉さんは見慣れた白地に渦巻き柄の着流しを着ていた。銀さんが貸してあげたのか。
って普通に仲良いじゃないか。こいつら、この、くそオヤジども!

したくないけど理解してあげようと思った。僕が大人にならなきゃダメなんだ。
神楽ちゃんは僕が守らなきゃ。

「こたつ、出してくれるアルか?」
一瞬耳を疑った。夜兎の血は伊達じゃない。きっと僕には一生真似できない大技だ。
神楽ちゃんの言葉に、高杉さんはちょっとだけおかしそうな顔をした。
「…そうだ、銀時に言われて手伝いに来たんだよ」
その返事も大概おかしい。
「そうなの?」
あっ、危ないのに。
するりと僕の腕から抜け出す神楽ちゃん。もう泣きたい。

「流石にちと早いとは思うがな」
「甘やかさなくて良いよ、超面倒じゃん」
この人達、いつの間に仲直りしたんだろう。気にしている僕が馬鹿みたいに思えてくる。でも思春期なんてそんなもんでしょう。もうちょっと、さあ。気遣いっていうか。
おっさんの世界はよく分からない。でもみすみす逃すには勿体無い機会というのは理解していた。
「た、高杉さんも一緒に団欒どうぞ」
あ、鼻で笑った。
「フン、好きに使えば良いさ」
「待って、じゃあ布団ベランダでバサバサしなきゃ」
銀さん、もう逃れられませんね。
「明日にしろ」
「お願い、結構ウチ湿気るのよ」

あれよあれよと言う間にこたつはきっちり鎮座した。
大人の男の人2人だと僕の出る幕なんか無くて。
高杉そっち持って、あ、ふすま開けて、足で良いから。おう。高杉、コードの穴ってここだよね。お前んちだろ、ああ良いんじゃねえか。
僕らの前ではのらりくらりなマダオなのに、何だか銀さんが普通の男の人みたいだった。
そんな普通に働けるなら、さっさとしてくれれば良いのに。じゃあ新八、一緒にやるか。なんて僕を頼ってくれれば良いのに。つまらない気もしたが仕方無いんだろうな、とも思った。
お互いに信頼し合っているのが分かって、幼馴染っていい物なんだなあ、としみじみしてしまうのだ。
でもやっぱり、僕ももっと銀さんに頼られたいな。
僕だってさあ。

こうして無事セッティングされた幸せのこたつ。
今シーズンはめでたく四辺が埋まってのデビューだ。
大人は特別ご褒美だなんて言って銀さんと高杉さんだけ温めたお酒を飲んだ。僕と神楽ちゃんは甘い生姜湯。
2人がおつまみに取り出したのは夕飯のおかずの残りで、良いのかなと思ったけど高杉さんは「旨い」と褒めていた。
それを見ると僕らだって欲しくなる。
みんなでつつく銀さん特製・茄子の揚げ浸しは、味が染みて夕飯の時よりもっと美味しかった。

4人で囲むこたつ、テレビの音、いつもより好き勝手なコメントが振るわない銀さんの口。
ちょっとぎこちなくて、でも僕は、体も胸の奥も、暖かいなあと思っていた。

「弟ってのも悪くないな」
CMの合間に高杉さんが呟く。何の話かと首を傾げると、にやにや笑ってこっちを見ている。ぼ、っと顔が熱くなるのを感じた。
僕う?
「僕、まだ高杉さん怖いですよ」
急いで生姜湯を一口すすって、噎せた。
「そうだよ、なあ。こんなおっかないのよりは俺の方がずっと良いだろ」
「ちょ、やめて下さいよ!どっちも嫌ですから!」
伸びて来る銀さんの腕。ぐりぐりと頭を撫でられてイラっとして、でも面映ゆかった。
神楽ちゃんはと言うと、嫌な笑いを寄越した後に大きな欠伸をひとつ。

「風邪引くぞ」
高杉さんの低い声にはっとする。
全員の飲み物が無くなる頃、神楽ちゃんの頭は船を漕いでいた。かく言う僕も。
「…銀ちゃんと同じこと言うアルな」
それね。
「こたつで寝るの、何でこんなに気持ち良いアルか…不可抗力ネ」
呆れ顔の銀さんをちらっと見て高杉さんが立ち上がる。
「今日だけは良いじゃねえか」
言いながらこたつの上のお猪口と湯呑みを持ち上げた。あ、まずい、けど体が。
「新八、お前もな。伸びてみろ。俺が許す」
ちょっと面食らってしまって何も言えなかった。
カチ、こたつのスイッチが消される音。食器を流しに置いて戻って来る高杉さん。そうして僕のメガネをそっと取り上げた。
銀さんも立ち上がり、僕と神楽ちゃんの頭をひと撫でずつ。また、もう。でもその暖かさは急激に深い眠気を運んで来た。思わず欠伸が出る。
綺麗になった天板を壁に寄せ、どちらかがこたつ布団を持ち上げ、その隙に本体が退かされ。
あっという間に僕と神楽ちゃんの寝床が出来てしまい、ゆっくりと夢の中に引き込まれるのを感じた。
「おやすみ」
万事屋は暖かな暗闇に包まれる。

どこからか銀さんの陽気な話し声。
気付くと窓の向こうは明るい水色だった。
「お恥ずかしい話ですがねえ、今ちょっと暇な時期でして。ええ、予定より早く解決できそうなんですよ、はい。畳み掛けちゃっても?ええ、ご安心を。ではまた後ほど。いいええ、大船に乗ったつもりでね、大丈夫ですって。はい、はあい、失礼しますう」
メガネ…。手を伸ばすと頭の少し上にあった。

目をこすりながら社長椅子に向かうと2つある大人の人影に驚いた。
「よお」
そう言えばそうだった。
「お、おはようございます」
満足そうに頷くと、銀さんと高杉さんは連れ立って玄関に向かう。
「あの依頼、ちゃちゃっと片付けて来るわ。今日は2人で内勤よろしくな」

「お前、要らないことすんなよ」
「たりめえだろう。銀時こそ」
「銀さんいつだって冷静沈着でしょうが。頼むよマジで、キレすぎ厳禁だからね。ったァ!馬鹿!」
高杉さんの膝カックンが決まり、銀さんがよろけた。
まだ何事か言い合いを続けながらも彼らは意気揚々と出掛けて行く。

「ほんと仲良いね」
「いいおっさん共が楽しそうで羨ましいアル」
「ちょっと可愛く見えてきちゃうし」
友達同士って、大人になってもそうなんだね。良いなあ。
「…そよちゃんに会いたくなったアル」
「僕も。タカチンに連絡してみよっかな」

背中で子ども達の呆れ声を聞きながら。
「酷くない?失礼しちゃうわ。せめてさあ、銀さんまだまだ若いんだからさあ」
「クク、呼んで欲しいよな」