悪いな兄ちゃん、いつもバカの世話して貰っちゃって。
最近、時々そんな想いで高杉の褌に女物の香水をかけている。
高杉が万事屋から帰る朝。いつも身支度の前にシャワーを浴びるので、その隙にサっと拝借し内側にひと吹き。窓を開けて外の空気に軽く泳がせてから脱衣所に戻す。
風呂上り一番に身に着ける物に関しては、確かに嗅覚は上手く働かないかも知れない。
本人は気付かぬままにそれを身に付け出て行く。

短く別れを告げた後は、振り返らずに真っ直ぐ去って行く後ろ姿を見るのが無性に寂しい事がある。
奴の帰る場所は何やかんやで俺の懐、との自負はある。一応、いや当たり前だ。その筈なんだが。
そろそろ反撃してみても良いだろうと思っていた。
長らく俺は面白がりすぎた。
スパイスなんぞ無くとも愛しい事に変わりはない。

直近の逢瀬で数度試してはみたが、残念ながら状況はさほど変わらない様に思っていた。
今度の様子次第で次の手を考えよう。長期戦も辞さねえぞ俺は。と言ったところで具体案は特に無し…。

万事屋の社長椅子で1人、銀時が腕組みで難しい顔をしている頃。
高杉は真っ直ぐ船への帰路を歩いていた。これは彼にしては珍しい行動だった。
万事屋からの帰りは何となく物寂しくて、橋の上やら港場やらで一度のんびり煙管を蒸すのが常だが。
どうも最近、銀時の目が暗く光るように感じる。

「ほ。良い鈴を貰って帰ってきたものだな」
船に帰ると万斉の皮肉に迎え入れられた。何か具体的な物を指したのかと後ろめたい気がしたが、その筈はない。
風呂上がりにきちんと鏡で体を確認してきたのだ。何か、例えば赤い口吸いの跡なんかが残っているとしたら銀時の筈だ。
昨夜は大分ゆっくりとしたから、途中から意識は朦朧としていた。すぐ目の前にある肩口に唇を寄せた、と思う。しなやかに温い肌の感触は覚えている。
万斉の言葉は全て察した上での揶揄いだろうと思った。
笑って「本体が一級品だからな」と返し、彼の横を通り過ぎて自室に戻った。
隊内はちょうど朝食が済んだ後のようで、これから皆が動き出す活気があった。

「お前、仕事は」
「今日はあちらもこちらもオフでござる」
内心面倒に感じながらも自室を訪ねてきた万斉の相手をする。少し休んだら書を読みたかった。一人になりたかったのだ。
そろそろ本気で追い出すか、と膝上で甘える男をどかそうとしたら、何処からか甘い香りが漂った。
「万斉、香でも焚いたか?」
「…それはお主でござろう。ふむ、こうして嗅いでみると、首も、ふん、着物も、よく分からんが。ほ、腰から甘い香りがするような。
一体何の交渉だったのやら。花街にでも寄ってきたか?両刀と言うのは楽しみも倍で羨ましいものだ。この放蕩猫が」

随分な言い草だと思った。文句を言える身でもないのは重々承知だが、苛々した。
「偉そうな口を利くじゃねえか、え?」
穏やかに見下ろす姿勢から一変、その襟首を掴んで畳に押し付ける。睨み付けたが万斉はどこ吹く風。
「気付いていないのはお主だけでござる」
諭すように語り掛ける顔は笑っていたが、寂しげだった。思わず高杉は手を緩めた。

「そろそろ白夜叉の心を汲んでやれ」
起き上がり、万斉は両手で高杉の頬をそっと包んだ。額、包帯の無い方の裸の瞼、目尻、顎、口の端、と順に口付けを続け、迷ったがもう唇にはしなかった。

「何の話だ」
高杉には珍しく、本当に戸惑った顔を見せた。
「本当に気付いておらなんだか」
万斉が吹き出した。
「白夜叉のところから帰ってくるとすぐ分かるでござる。洗濯でもして貰って来るのか?その香りは洗剤か?お主、拙者は知らぬ甘い香りを纏っているぞ。
…今度奴に聞いてみると良い。拙者への言伝だというのは薄々感じていたが、何を使われているのやら。
それにしても今朝はよく香る。飼い主の顔がそこに見えるようだぞ」
思ってもみなかった事だ。万斉は本当に可笑しそうだった。

「本当は迷っていただろう。安心しろ、元より拙者は、お主の魂に惚れた身でござる。最後まで付いて行く。
…例えこれがあっても無くてもな」
笑って唇をとん、と長い指で叩かれた。
「それに、拙者も晋助から一人立ちせねばな」
目の前が真っ暗になった。最後まで付いて、なんて大嘘ではないか。それは、つまり。
「いやいや違うでござる。晋助には拙者の他にも優秀な部下がおろう。その、なんだ、今更隊内恋愛を禁ずるなど、ないだろう?大将」
はたと合点がいった。こいつも大概悪い男じゃねえか、笑ってしまう。
「仲良くしろよ」
立ち上がり、部屋を出かけた時。
「晋助、これを」
桐の小箱を差し出された。何だと思いながら受け取り、蓋を開けてみると中には青地焼の陶器の平たい壺。
更に陶器の小さな蓋をずらすと、高杉の好きな花の香りの、練り香水だった。
「誰と過ごすのかは知らんが。お主、誕生日は約束があるのでは?少し早いが拙者からの祝いだ」

あくる日。どう嗅ぎ付けたのか、「最近は物騒でござる」等と言って、どうしても供をさせろと聞かない。
仕方無しに万斉を連れてぶらぶらと船を出、夕暮れのかぶき町のはずれを歩いた。
夜、万事屋を訪ねようと思っていた日だった。
夏の夕暮れは如何にも平和で気怠い。
いよいよ上手いこと万斉を撒きたい、と焦れていた。
「おや、良い骨董屋でござる」
「刀の柄がシック」、などと肩を抱いて店の陰に引かれた。

万斉…もう良いだろう。獲物なら行きつけの店があるんじゃねえのか。
言いかけて隣の顔を覗き込むと口元が愉快そうだった。
全く何だってんだ、と溜息をついて顔を上げる。
と、後ろに立っている銀髪の男と、店のガラス越しに目が合った。
「銀時」
思わず振り向き、直接目を合わせる。赤みがかった目は鈍く光っていた。
歩み寄ろうとする高杉の肩を強く引き、万斉はその首筋に顔を寄せた。
もちろん銀時の目線からはそういった意味を持つ光景に見えただろう。そうでなくとも、誰からも睦み合う二人に見えた筈だ。
この時、万斉から言伝が送られたのを知るのは当の二人のみ。顔を離すと万斉はポケットを探り絆創膏を取り出し、丁寧に高杉の首筋に貼り付けた。

高杉は万斉から離れ、銀時の元に歩み寄った。万斉はにっこりと銀時に笑いかけ、後は静かに去っていく。
胸糞悪いったらありゃしねえ。銀時は舌打ちをした。
「万事屋に、邪魔したいんだが」
よくもいけしゃあしゃあと。腹が立ったがそこはそれ。
終始無言で距離を置きながらも歩き続け、万事屋の玄関にきちんと二人で立っていた。

中に入り、ぴしゃりと戸を閉める。その後すぐに骨ばった首を掴んで壁に叩き付けた。
「お仕置きされると思った?そんなの結局お前が喜ぶだけじゃねえか、淫乱。
俺はな、本気で怒ってんだよ。流石に萎えるわ。人目も構わずか?少しはわきまえろ、この、馬鹿」
これ位、本当は跳ね返せる。首に伸ばされた腕に両手をそっと宛がい、銀時の表情を見つめた。
怒っているのか。俺が他の奴と寄り添うことに腹を立ててくれるのか。それなら俺に分があるってことじゃねえか。
「何に笑ってやがる」
手に力が入るのが分かる。乾いた咳が一つ出て、一瞬視界が白く明滅した。
流石にまずい。力を込めて銀時の腕を天井に向けて叩き上げ、怯んだ隙に彼の腹に膝蹴りをお見舞いした。

玄関の上がり框に倒れ込みげほげほと咳き込む銀時の上に馬乗りになり、その右手を取って自分の首筋に導く。
指先に触れさせたのは絆創膏だ。
「剥がしてくれ」
銀時は荒い息を吐きながらも怪訝な顔で絆創膏を剥がす。
そこには何の跡も無かった。

「これ。俺の大切な幹部からの言伝だ。獣を宜しく頼む。だそうだ」
呆気に取られて言葉が出ない。
下を向いて深く息を吐いてから、隻眼が銀時を捉えた。真っ直ぐな光だった。
ただならぬ空気を感じ取り、その身体を自分の上からどける。何となく互いに正座で、無言で向き合った。
暫くだんまりが続いたが、高杉が沈黙を破った。
「銀時。これまで、悪かった」
はっきりと言葉を響かせた後、高杉は正座したまま深く頭を下げたのだった。

本当に狡い男である。許すしかねえだろうが。
お仕置きにしろ仲直りにしろ、何だか今夜はセックスはいいやと思った。
長らく俺は、面白がりすぎた。