全く。お前は不規則で怠惰な生活態度をまだ続けているのか、早く寝ろ、髪がまだ濡れている、肩まで布団にきちんと入れ…。
本当に細けぇ奴。悪態をつきながらも、髪を梳いてくる細く暖かい手が心地よい。枕を胸の下に抱いてうつ伏せで読んでいた書から顔を上げると、微笑みと美しい黒髪が垂れてきた。素早く書に栞を挟んで枕元に置くと、体の向きを直してその胸の中に潜り込む。
「るせぇ」待たせやがって。
久方ぶりの停泊の合間、皆で繁華街の喧騒に紛れて楽しく飲んだ。しかし2軒目に移るタイミングで、幹部はともかく自分がいると羽目を外せない面々もいるだろうと(単純に、案外酒には弱いところを見せたくないからとも言える)、それとなく抜けて来た。
船に帰るのは明日の朝、昔馴染みと会う事は告げてある。サングラスの奥に光る、少々咎めるような目は見て見ぬふり。良いじゃねえか、お前も馴染みのひとりやふたり、居るんじゃないのか。こんなに良い夜だってのにそんな顔すんな。
港町を抜けて、坂の多いかつての花柳街へ向かう。道だかただの隙間だか、どうにも怪しい小路をいくつか曲がったところにひっそりと建つ長屋が今夜の目的地だ。
目印の番傘を入り口に見つけ、更に周囲の安全をちらりと確認してから引き戸を開けると、嗅ぎ慣れた白檀の香が漂い酷く安心した。俺や銀時のようにケムリもパチンコもしないあいつは一体何が拠り所なんだろう。ふわりと浮かんだ恥ずかしい考えに1人顔をしかめる。
とにかく、さっさと湯を浴びたい。酒場で染み付いた喧噪の匂いを落としてアホ面を待ってやろう。勝手に浴衣を引っ張り出してきて風呂の準備をする。これまた勝手に湯船になみなみと湯を溜めながら一服。
細く開けた障子の隙間から吹き込む風が、少し湿っていた。
驚いたのは仕事帰りの桂だ。よくあるお得意の奇襲攻撃だが、毎度毎度素直に驚いてしまう。
数刻前の侵入者と同じく、周囲を素早く見渡した後に引き戸を開けると浴室から灯りと湯音が漏れている。
いつもの事ながらため息とともに笑んでしまう自分に悔しさを感じながら、念のため用心して中に入ると戸口に草履と編笠。
しかしまだ油断はできぬ。帯刀したまま足音を忍ばせ浴室へ向かい静かに扉を細く開ける。と、同じくこちらを見つめる片目と目が合ってしまった。
そこでようやく互いに息を吐き、安堵と嬉しさを悟られないように、鼻で小さく笑うのだ。
ちゃぷんと湯を揺らして腕を湯船のヘリに乗せこちらに向き直る侵入者。
覗きとは悪趣味だぜズラァ。
湯に濡れた黒髪と露わになった額、上気した肌が愛らしい。そう思ってしまうのを本人に悟られないように大きな音を立ててすぐ扉を閉めた。
優雅にラッキースケベを押し付けてくるな馬鹿者。ドロボウ猫でもここまで図々しくはないぞ。全く!
扉の向こうに怒鳴りながらも自然とにやけてしまう。取り敢えず茶でもと、湯を火にかけてから浴衣に着替え、高杉の湯上りを待った。
暖かく湿って風呂から出てきた高杉の頭を大雑把に拭ってから無言で熱い茶を与える。酒の方がずっと喜ぶのは分かっているがそれはまだお預けにしておく。
高杉は大人しく口を付けたが「あちぃ」と小さく文句を言って湯のみを置いた。ますます猫みたいだ。
では俺も入ってくるからな。
湯から上がってみると偉いことに、高杉は自分で布団を敷いて書を読んでいた。もちろん寝ずに待っていて貰うつもりだったが、その姿を見るとつい幼少からの癖で母親のような言葉を吐いてしまう。
首筋、耳たぶ、目頭、最後に唇へ。
湯上りの高杉を美味しくいただく前に、こんな敵襲もあろうかと隠しておいたとっておきの酒を与えて喜ばせようかと思っていたが、そこは桂も男。
戦でも何でも、状況に応じた優先順位の見極めは至極大切な事なのだ。