ひかえめ
2023「カッフェ・ラブは突然に」旧版はこちらです-3 妙に身体が重い。 遠くから水の音がする。 今日も天気は悪いらしい。 仰向けの高杉は、こちらを向いて横になる男に抱かれていた。 目と口が開いている。思わず凝視した。 「ぬ、んぅ…しんすけく、も、だめ…、んがっ」 高杉が身動ぎすると、目は一度閉じた。 少し笑ってしまう。次の瞬間強く抱きしめられ、息が止まりそうになった。 角度を変え表情を仰ぐと、高杉が良く知る美しい仏頂面に多少は近かった。 「俺ァ、名乗ったか…?」 腕を上げ、湿気った布団の中で滑らかな黒髪を撫でる。喉が掠れ声が上手く出なかった。 チーフは頬を擦り付けてきた。ステージでの変人さとも、彼の職場での仏頂面とも、まるで別人である。 「おお、そうだ。名刺とか持ってるだろう、くれ」 …? 「おい、何故離れる。まだまだベタベタしよう」 「チーフ、俺は自己紹介、したか?」 「喫茶店員にだって休憩時間くらい」 「…あんたな」 「獲物を狙う時が一番無防備ということだ」 「俺ァ尾行されてたのか」 「晋助くんはスケベだなあ。…いいさ、いくらでも妄想すればいいじゃない」 「なァ、んぐ」 脚の間に太腿、唇の隙間には舌を差し込まれる。いつから?等と質問を重ねるのは叶わなかった。 シャワーを借り、躊躇はしたものの勧められるままに下着も借りた。 高杉の下着は汚れていた。昨夜油断していたせいだ。履いた上からめちゃくちゃに揉みしだかれた。 一度達してから剥ぎ取られ、熱い唇にむしゃぶりつかれた。 濡れた下着は弧を描き、布団の外に放られた。 まて、チーフ、ちょっと。髪に指を絡めて美しい顔を引き離そうとすると、会陰がくすぐられた。 小さく声を上げ背筋を震わせると、腰が両手で布団に押し付けられ、受ける口淫の激しさが増した。 ぎゅうと吸われ暫し高杉の意識が遠のいたのを見計らい、チーフはプラスチックのボトルを洗面所から探し当ててきた。彼は終始上機嫌だった。 そんな経緯があったため、高杉の下着は汚れていた。洗おうにも天気は悪い。 高杉は、チーフから下着を借りるしかなかった。 「パンツ、ちゃんと洗ったやつだぞ」 「おう。悪ィな」 「帰って、脱いで嗅んでも、もう分からんだろうな」 「っるかよ。チーフ、俺の寄越せ」 「待て、…んー、良いにお」 「寄越せ!」 呑気な遣り取りのお陰で気まずさも無く、揃ってチーフの部屋を出た。 何故かチーフも出掛けるらしい。 雨脚は弱まり、細かい霧のような雨だった。 「晋助くん。ビニ傘、無駄にならなくて良かったな」 「雨、鬱陶しいけどなァ」 今朝は一人一本、きちんと傘を持っている。チーフの手には今、木製の柄が握られていた。 この男にしては洒落た傘だと思った。喫茶店でのイメージのままならともかく、昨夜のステージを拝見してしまった高杉には、意外だった。 「チーフ、傘似合ってんじゃねえか」 「そうだろう。お前も、良いものを持てば良い」 「俺ァすぐ、失くしちまう」 「きっと、良いもん持ったら失くさなくなるぞ。黒か紫か。濃い色が合うな」 「…あァ、そうさせてもらう」 「よし。暫く持ってみると良い。俺の傘を貸してやろう」 「要らねェ…」 「遠慮することはない、ほら、使ってみなさい」 高杉とチーフは、駅前で別れた。 今朝の雨は、心なしか少し暖かい。 高杉は、傘の木製の柄を回し、喫煙所に歩の向きを変えた。 借り物は返す物だ。 俺は、また抱かれるだろうか? あれから暫く彼とは会っていない。 今日は食欲が無いから。貯金でもと思っていたところだから。 あの喫茶店に行くのは、何故かためらわれた。 雨の日は続いた。 出先からの帰り、高杉は多少回り道をして店の前を通った。 通りから見上げた窓は結露して曇っていたが、高杉の特等席は無人なのが分かった。 ステンレスのシュガーポットが鈍く光る。 と、そこに長髪を揺らす人影が現れた。 思わず一歩後ずさり、回れ右をして足早に職場へ戻った。 傘を持ち直す。 柄に浮かぶ隆起が手のひらの皮膚に擦れる。急に艶かしい気分になって、高杉はきまりが悪かった。