変な彼氏

帰り道は、幸い己らの正体を気にする場面は訪れなかった。 この呑気な感覚は桂だけのものだったかもしれないが、本当にそうだったかどうかも実際よく分からない。 何せ気になっていたのは、久々に共に歩く幼馴染との距離感だけだった。 かぶき町近辺まで戻る頃にはすっかり陽も落ち、代わりに店舗のネオンが輝きだしていた。 その浮かれた光景は、寧ろ桂を緊張させた。 それでもどうにか人混みを離れるように自宅の方向へ誘導し、「ちょっと物入りが」などとトンキホーテに寄るまでできたので上々と言える。 言葉での否定、…まあこれと言って肯定もなかったのだが、高杉は素直に付いてきた。 「なあヅラ」 だから、いざ店内に入ろうという時にぽつりと呼ばれたとき心臓が口から飛び出るほど桂は驚いた。 「!?な、なに案ずるななな。俺も伊達にムッツリしてきた訳ではない、必要なものは一通り理解している」 「ヅラ、俺の羽織でも着ておけ」 「へ?」 「それ。どこで引っ掛けた?」 「え?何?…エェッ!?」 太ももの辺りだ。それ、と眉をひそめて示される方向を辿ると、どこで拵えたか美しい生地に無残な穴が空いている。それも一つではない、大小さまざま、三つはある。 「あ、あああ…」周囲を震える指先でなぞれば、はた、とぼさぼさ気味の長毛の感触が蘇った。 「坂本…!?まさか囓ったのか」 「ア?お前、坂本とも会ってるのか。…どう考えてもあの兎小屋だろう」 「そうとも!」 「は?」 「そうか、モソモソと。そうだったか坂本…食ったのか?いやまさかな」 「違う。だからな、行く前はその穴なかったぜ。……良いから。やる」 そうして押し付けられた羽織は些か丈が足りなかったが、桂の胸を満たすには有り余るものがあった。 「よ、よし。大人の、…上か。行こう」 「?」 アダルトグッズ売り場には、幸い他の客の姿はなかった。 「今夜は共に寝よう」 意を決し、桂なりに想いを伝えた。 流石に場の不似合いさは感じたが、タイミングは他に考えられなかった。返答はシンプルだった。 「…お前正気か?悪いが無理だ」 俺とお前でか、と重ねて尋ねられた。首肯した。 呆れ顔で踵を返そうとするのを反射的に引き留める。残念ではあるが、こういった暗雲ルートも想定外ではない。 「テメェ…。それで俺を懐柔しようって腹なら今ここで斬ってや」馬鹿はお前だ、と思った。何故か、そういった反応は桂にとって後押しになるのだった。 「そういうの良いから!」 したこと?はないがバイト先で聞いた。 自分で調べたし、ゆっくり丁寧にやれば問題なかろう。俺は成し遂げるぞ。いや、万が一だめでも元からそういうモンだと思っている。「それに」「?」 「それに昔、本当にお前で抜いていたんだ」 「ぬっ…!?」 そ、そんなに驚かなくても良いだろう。ああいう状況だったんだ、そうおかしいことでもあるまい。いや、いざやってみて、どうなっても、例えばお前がその、だめだと感じても、俺は気にしない。忘れてやろう、俺はお前と違って大人だからな。必死になる桂とは対照的に、高杉は静かだった。 「その。何、そういうことだ」 「………へェ」 次第に自分でも言いたいことがよく分からなくなり、桂は言葉を切った。すると何がおかしかったのか、高杉は珍しく声を立てて笑った。 「…オホン」 と、ビニール製のカーテンの向こうで誰かの咳払いが聞こえた。 慌てて桂はそれぞれの棚で一番目立って見えたジェルのボトルを一本とゴム製品を掴み、高杉の背を押しそそくさと狭い売り場を出た。加えて、下の階では「イチジク」と銘打った医薬部外品も。 いざというときのへそくりを袂に忍ばせていて大正解、と桂は胸を押さえた。多少の紆余曲折はあったが、総じて考えるとトントン拍子で少し怖い。 「大丈夫だ、今日の俺は輝いている…。なあ晋助…」 「良かったな」 「な、盗み聞きするな貴様っ」 「呼んだろう」 「あ…?おほん、すまない、空耳だったことにしてくれ。いやでも、こんなにポンポン進んだが決して一時の気の迷いではなく、まあ予兆というか、その気はあったんだ。さっきも言ったように昔から。今日は、要所要所で意外な破壊力があっただけでな」 「…そうかい」 「そ、そういうことだ。今日の俺は思うままに進むべき日に違いない!」 「俺も今日明日は斬らないでやる。…それ以降はまた。なァ、文句ないな」 「ああ。…うん、高杉。良いとも、臨むところだ!」 小さく笑った高杉は人の肩をぽんと叩き、買い物カゴを取り上げ一人レジへ向かった。 その背中を見ながら、桂は自分の頬を両手で押さえた。 「らしくない、らしくないぞ俺。武士が何たる…でも今の俺はヅラ子さんであって…」 頬は酷く熱かった。

August 23, 2020

素敵な彼氏

「今の俺、最高に輝いてる…」 その日、桂小太郎は充実感の自己更新記録を達成した。 場所はかぶき町の端に新しくできた喫茶店。 服装は、生地はもちろん小物に至るまできっちり季節物で揃えた和装ないし女装。 化粧で普段より重くなった睫を瞬かせ注文したメニューが供されるのを待つ時間は、想像以上に良いものだった。 開いてしまう脚を数分おきに閉じる。背筋を正す。 刀を携えるのとは勝手が違うが、なるほどこれはこれで普段とは違う場所が鍛えられる、と桂は一人うんうんと納得もした。 「…じょそうかな」 「…せいだと思うよ」 妙な視線を感じ振り返ると、斜め後ろの席に座る妙齢の女子二人組と目が合った。 数秒しげしげと観察するも真選組の関係者には見えない。 各人の前に鎮座する彩り鮮やかなクリームソーダも相まってシロ。そう桂は結論づけた。 「…うむ」 きみたちも俺と同じで、可愛くて美味しい時間を求めやってきたのだな。 桂は笑顔を作って見せ、自分のテーブルにさっと向き直った。 「お待たせいたしました、あんこもちと玉露セットでございます」 「あっ、ハイ!(桂裏声)」 上品な甘みに感嘆しながら何気なく窓の外に目を向けた桂は、口内のものを吹き出しそうになった。 そう簡単に言い切ってしまうのには些か語弊がある。 まず、何気なく窓の外に目を向けた桂は見覚えのある姿を認め驚いた。 高杉晋助が建物の影に佇んでいる。 「アレ…?」 次に、まさかそんなと再度見遣った。確かに穏やかな昼下がりの市井においてはどことなく不穏な様子の男が、居るには居る。 最後によく目を凝らすと、それはやはり、また少し痩せたように見える幼馴染だった。 「お客様?」 桂は箸を置き、外に飛び出した。 「お客様!?食い逃げじゃないですよね!?」 「アッ…っと」 「食い逃げだ!」とか「食い逃げされた!アイツだー!」と背後から怒鳴られた経験はあるが、「…じゃないですよね?」は初体験だ。 そこで桂は今の自分の姿を思い出し、その場で足踏みをしながら応えた。 「友達があっちに。すぐ戻りますわね!(桂裏声)」 桂が店を出ると共に、高杉のように見える人物も歩き出していた。 彼に追い付き首根を掴んで振り向かせれば、当然だが鋭い目を向けられた。 それはやはり、高杉だった。 変な話だが、こうして久々に顔を合わせてみれば涼しげな目元なんかが綺麗だとしみじみ思う。頬も滑らかだ。念入りな化粧もしない癖に不思議なものだ。 「あ。マジだ」 「……!?」 「息災か」 「ヅラ、か…!?」 「ヅラじゃない、桂だ」 「……ヅラか…!」 白昼堂々と仕掛けてきた相手の顔を認めた高杉は、明らかに混乱していた。 それを良いことに桂はさっさと彼を引き摺り店に戻った。 苦笑いで、それでも「おかえりなさい」と声を掛けてくれるお姉さんに「こやつがね」「ごめんなさいねウフフ」とジェスチャーを送った。 「こやつ」は自分の向かいの席に座らせた。 これ以上目立つ行動よりは、と観念したらしく高杉は大人しかった。 懐を探りかけてはその手を止めこちらを睨む。俯く。また懐を探ろうとして、止める。 いけません、と桂は首を横に振った。 この素敵な店では灰皿など用意されるはずもなく、煙管なんてもってのほかである。 「テメェ、何のつもりだ…?」 「安心しろ、お前を売る気などない。誰かさんと違ってな」 「言うじゃねェか」 「今日は完全オフでな」 「嘘だろう?分からねェな、何故俺をここに」 居心地が悪くて仕方なかろうに凄んでくる姿は健気にも感じられる。 それにしても、以前会ったときと同様に紅紫の着物、しかも男物であればやや目立つ。 「さあ。何故だろうな…。ノリだ、ノリ。あ、ちょっと待ってね」 がま口バッグを漁ると緊急用の伊達眼鏡があった。「あったあった」おあつらえ向きにも少し色が入っている。自分のチョイスを褒めたい。 「お前に、これを」 「ハッ、誰がテメェの」 「ほう。俺が今オフだと、本当に思うか?」 これ見よがしに店内を顎でぐるりと示して見せる。 実際完全にオフなのだが、このように気合いの入った格好をしている以上オンとも言えるのではないか。いや、そもそも俺のオンとはいつだ?いつでもカモオオオンだ 「お客様」…ぞ。 「…っ!」 すまなさそうに声を掛けてきたのは、先ほどのお姉さんだった。 仕組んでやがったかてめェ、などと言い出しそうな目で高杉が腰を浮かせる。 「あの、お客様」 「俺は行くぜヅラ」こちらへ身を乗り出し、不適な笑みで別れを告げてくる。桂は顔が赤らむのを自覚した。 「たかすぎ顔ちかい…」...

August 16, 2020

捕獲成功

「お前、最近また野生児に戻ったな」 「…んだよ」 大岩の上でぼんやりしているところを急に話しかけられ、銀時は顔をしかめた。 河などもってのほか、川でも言いすぎなくらいの流れ。ただし深い箇所なら大人でも身体がすっかり沈む。さらさらと絶え間ない水音が耳に心地よい場所である。 そこに降ってきたのが高杉の声だった。長い付き合いもあってか人の嫌がるタイミングも的確に捉えてやがる、そう思えてならない。 そんな銀時に追い払う暇を与えまいとするかのように、彼は素早く銀時の隣を陣取り無言で座り込むのだった。 子供らしからぬ、何を考えているやら、辛い思いをしただろうから、等など。松陽に拾われやっと人の子らしい生活を始め暫く経った頃、他所の大人たちが銀時のことを好き勝手に評していたのを子供ながらに感じ取ったものだ。そんな面白くもない記憶を呼び起こされたのは昨夜で、きっかけは同胞の少年たちとのささいな会話だった。 彼らに悪気はないと理解しているつもりだが、どうにも調子が出ないのだった。 「銀さんに何か用?」 「別に」 「…あっそ」 実際どこまで知っているのか、高杉はからかいも慰めもしてこなかった。 実のところ何も知らないのかもしれない。表情を盗み見るも、銀時には何も読み取れなかった。 肌がやたら滑らかそうで触れたくなったが、それはやめた。 暫くして銀時が川面に向けて小石を投げ始めると、彼も似たようなことをした。 「あれ。一緒に入れば?」 次第に沈んでいる自分というものも馬鹿らしくなってきて、銀時は数メートル先を顎で示した。そこでは瀞の淵に立った桂が腰を折り、何事か叫びながら頭を川面に突っ込んでいる。 「煩えからなァ」 「じゃあ後で銀さんが一緒に行ったげるわ。お前一人であんなことやったら流されちゃうでしょ」 「要らねえ。あそこ狭いだろ」 「そうなの?てかヅラあれ、腰とか背中、痛くないのかねえ」 「アイツ昔から身体柔らかかっただろ。…銀時、テメェこそよろけて落ちるだろうなァ」 「いやいや俺なんかより。高杉くん脚曲げて痛え痛え泣いちゃうもんね?」 「…いつ俺がんなこと言った?」 「高杉さ、身体固くてオナれないんだろ。それで猥談入ってこないとか?銀さん練習相手になってあげるけど?」 「!………何言ってんだお前」 にやつくのを堪え、銀時の頬は小さく痙攣した。どうも彼はこういった話題が不得手らしいが、その反応こそこちらの悪ふざけを加速させると何故気付かないのだろう。 「何でそんな頑ななのよ。イイコぶったってさあ。流石に、したことなくはないだろ?いやあ、真面目な話、抜いてはいるよな?たまにはさ」 「チッ。心配して損したぜ」 「あ、やっぱ銀さんのこと心配だったんじゃねえか」 「その様子じゃ何も問題ねえな。…何だ?こっち来んな」 「あはは。そうだわ、そのへん年頃男子にしちゃコイツこそ人間味ないのに」 「あー…、お前」 途端、高杉の表情が呆れたようなものになる。 ああこいつのこういうところが嫌だ。銀時は、急に嫌な気分になった。 「こいつの」について厳密に言うとそれも正しい意味ではないから嫌だ。 何というか、そうだな。銀時は考える。高杉は俺を特異な奴としない…つまり辛い過去を背負ってきて可哀想だとかそういう見方をしない。それでいて突っかかってくる。けれど意外と笑顔もよく見せる。 コイツと居ると腹の奥がむずむずして気持ち悪いような気がして。 「あー。あーあー。ストップストップ、じゃあ、一番、最近で抜いたのいつ?」 「こんな昼間からする話でもないだろ」 「夜聞いたら答えんの?」 「しつこいな。…何だ、やんのかお前」 「はあああ?そっちがその気なら?別に?相手してやってもい」 「コラー!!!」 取っ組み合い開始の直前で場外から飛んできた怒声に驚き、銀時は握った拳を緩める。そんな銀時の胸倉からも、高杉の手が離れていった。 そのまま揃って声のした方を向くと、両手を腰に当てた桂が睨んでいる。濡れた髪を顔や身体に張り付かせたその姿は、妖怪じみて見えた。 「河童みてえ」 「アイツが一番人間じゃねェ」 「まあ、そうね」 「喧嘩はやめなさーい!………お前ら何がおかしい!!」 「…フ」 その姿のまま重ねて怒鳴られるとますます滑稽だった。先に吹き出したのは高杉の方で、銀時もつられて笑った。終いにばんばんと互いの背を叩きあい、腹を抱えて笑い転げた。 「んー、まあ仲直りしたなら許す!つうか、たかすぎー、そこの手拭いくれー!」 「ん?おう…」 笑いすぎて滲んだ涙を指で拭いながら高杉は立ち上がる。あっさり置き去りにされるようで、銀時は少しつまらなく思った。 「なんだ、やっぱ入ってくんの?」 「ん」 尻についた砂埃をぱんぱんと祓う手、逞しくなってきた腕。それらは勿論銀時くんには遠く及ばないがね、と思うのに目を離せず、そのまま脇などを凝視してしまう。 その間に彼は腰帯の隙間にねじ込んであったらしい手拭いを取り出し、それを口に咥えて服を脱ぎだす。 舐めるような銀時の目線を知ってか知らずか、彼はそのままどんどん脱ぎ捨てた。そして終いには素っ裸になった。 「おま……ヘンタイじゃないですか…」 「今どこにも女は居ない。…残念だな」 「え。…びっくりした。今お前のこと見直したわ。確かに残念すぎる」 「な」 「…ねえ、つかお前、下の毛薄くない?前も言ったかもしんないけど」 「見んな。んなこたねェだろ。…馬鹿が」 咥えていた自分の手拭いを腰に当て、桂に渡す方は首に掛けて行くらしい。 無意識のうちに銀時は自分の股間にそっと手を当てていた。 「おっ、高杉も来るかぁー?ここの水メッチャ綺麗だぞおー。陽が当たるから今ならあったかいぞぉー」 「そりゃ良い、…っ!、冷てェ」...

July 14, 2020

山へ

明るいうす緑の、山道を征く。 山奥の寺で物言う生首が保管されているとの噂を得た。 美しい男の顔をしていて、色素の薄い頭髪が伸び続けている、とか。 とんだ眉唾ものと笑い合うも、本音は縋る思いだった。 「見ろ、そこにアオダイショウがぶら下がってないか?」 「てめェが黙ってりゃ何もしねえよ」 「俺たちを見ている」 「はぁ、っハ。放っとけ」 高杉は、相方を背負って山道を歩いていた。 道すがら古傷が痛むと呟くのを聞き、こうした。 やってみると辛かったが、下ろせと喚かれる度にあと半刻は余裕で歩ける気がし、実際そうだった。 下生えに埋もれながらも細い道はまだ先へ続いている。 寧ろ足下をよく見ると、先までと変わり岩石が多い。 中には人力で整形されたらしい長方形の岩も混じっているではないか。 新たな一歩に、また力が入った。 「っぐ」 「きちんと見ろ、ほら、どんぐりの木から」 ひんやりした手が顎下に這い寄り嫌な予感、と背ける間もなく無理矢理件の方角を向かされる。 見ると、蛇などでなく茶色く乾いた蔓だった。 「山葡萄だろ」 「そうか…?」 「てめェに教わった」 「そうだったか?」 「ああ。地面を這っている方はまた別だ、とか。…ふう。な」 「最高だ。良い子、お前は偉い」 「ん?…っぶ」 ぐりぐりと頬を擦り付けられ、高杉の頬も僅かに緩んでしまう。 が、そのまま身体に回された腕の締め付けがぎりぎりときつくなり、元から上がっていた息が更に苦しくなった。 桂は心配だった。 全くこの男は。気遣いされるほど意固地になるのだから。 「ぐ、テメェ…」 「休憩しないか高杉。なあ」 「平気、だ」 「やせ我慢は良くないぞ。息が上がっている。相当だ」 「させるか…っ」 「嫌だ!俺歩けるの!」 「く…ッソ」 「……っ」 「は、はぁっ、ふ、…っつ」 高杉は、いよいよ本気で暴れる背中の荷物にふらつきながらも歩を進めた。 また傾斜がきつくなる。流石に桂も口を噤んだ。 恐らく最後の大勝負と踏み、大股で着実に進む。 急に周囲の木々が拓ける。 次の一歩が平坦な場所に着地すると同時に、高杉は荷物を前方へ放り投げた。 寺の建つ地は、予想よりもう少しだけ切り拓かれていた。 おどろおどろしさまでもなく、老僧がひっそり寝食していそうな風情があった。 「立派だな。ちょうど銀時んちくらい?」 「あァ…」 高杉は、困ったら燃やして良しとしている隊の隠れ家を一つ思い出した。 まず、しんとした堂の周辺を手分けして探索した。 それらしき様子はなかった。 堂内に忍び込みもしたが、結果は然り。 こういう場面もあるので、怪しげな細い金属棒などといった桂の所持品に文句を付けられず、高杉は歯痒い思いをしたりする。 人の出入りはあるようだが、近隣の里から信心深い人々が時折訪れるだけだろう。 互いに、相方も大体同じことを考えているのが容易に想像できた。 ひと通りの罰当たりを済ませてしまった後で、手を合わせる高杉に桂も倣った。 特段落ち込むほどでもない。 取り越し苦労や無駄な努力には、慣れている。 「こんなモンだろうなァ」 「俺は、お前とハイキングできて楽しいぞ」 「…そうだな」 「ヘロヘロではないか。だから俺は何回も休もう休もうと」 「あァ」 「…水の音がする。川でも近いかな?」 「確かに、聞こえる」 「見てくる。そうだったら儲けものだ。飯ごうと米なら持ってきたんだぞ!」 鳥の綺麗な歌声が響いた。 細いが沢があった、魚が採れるかもしれない。 戻ってきた桂は興奮気味に教えてくれた。 「どうせだから、ここで煮炊きして食べてから帰ろう」...

February 4, 2020

加糖

2023「カッフェ・ラブは突然に」旧版はこちらです-2 ライブハウスを出て歩く。 ところが、チーフの口数は次第に少なくなった。あんなに自信満々だった癖におかしな男だ。 足並みも遅くなり、今や高杉の一歩後ろを歩く始末である。 「おいチーフ」 「む」 「やる気ねえじゃねえか。腹、痛いか」 「そうだな…。君が帰る所に俺は早く帰りたいのだが?部屋は遠いのか」 「…ッハハ。…さてなァ」 高杉は前を向き、再び歩き出した。 歩幅を広くしてみても、しかめっ面ながらチーフはきちんと付いてきた。 通り過ぎる女の子たちの様子も面白かった。 目が合うと途端に逸らされるパターンが続いた。少し考え、へェ、と勘が働いた。 なるほど良い目をしている。そうだ顔は悪くねェんだよ。 ただ、頭がおかしい。 ビール安いなァ、「まだ早い」。 俺はワインも美味そうだと思うが、「待て、あっちの通りも見ようじゃないか」。 決して会話が弾んでいるとも言えないだろうが、いちゃもん、ではなく希望(ということにしておいてやろう)は返ってくるので、高杉は適当に歩き続けた。 「そうか」 「あだっ」 ふいに立ち止まると、ぼす、と背中から衝撃を受けた。 「チーフ、アンタ有名人か」 「むう。前科は無いぞ。見て分かると思うが」 「顔、覚えられてるんじゃねえか?」 「何故」 「ライブとかよ。長くやってんだろ。常連だのが居るんじゃねェか?」 「…いや、どうかな。それなら分かる。気がする」 「……へェ」 なるほど、なるほど。そちらの方が嫌な感じだ。 見た目に騙され泣きを見るからやめておけ、などと注意喚起をして回ってやろうか。 「どうした晋助くん」 「……。チーフ、行くぜ」 そこで己の現状を思い返し、高杉は思考を停止させた。 歩き出すと、チーフはまた喋らなくなった。 流石に歩き疲れいよいよ無言にも飽きる頃。 電球に照らされ揺れる暖簾に、チーフの目がぱっと輝いたのだった。 蕎麦屋、そば焼酎、蕎麦湯割り。 「で、どうだった。歌」 カウンター内の店主がこちらの注文に頷き、仕事に取り掛かる。それを見計らい、きらきらした目を向けられた高杉は、返答に困った。 「なかなか…難解なもんだな」 目を逸らし、胸ポケットをまさぐる。指で摘んで口元へ。 「そうだろう。これから楽しみだな、晋助くん」 「楽しみか?」 「そりゃそうだ」 「そうか…。ああ、楽しみだなァ…」 壁に煙を吐き出し、顔を前に戻す。 「っ!ゲホ」 予想しない至近距離に人面があり、高杉は盛大に煙を吹いた。 「仕込み甲斐がある」 涙目になりながらも冷たい手に片頬を包まれ、茶色い瞳から逃れられなかった。 「もちろん、良いな?」 何年も前に怪我をして開かない片目。最近ではもう、特段意識することも無かった。その瞼を細い指先が往復する。 顎を引こうとするも存外チーフの力は強い。びくともしないのだった。 「君も、大人なんだから」 「チーフ、あんた」 「はい、おまちどうです」 「…フン」 特に変な顔をするでもなく、自然な流れで店員が湯呑と皿を置いた。 チーフは拗ねたように、だがあっさり高杉を開放してくれた。 店員の度胸への妙な感心と共に、高杉は椅子に深く腰掛け直した。 残念な気分になっている自分が、残念だった。 「チーフお疲れ」 「うむ、ありがとう」 ことり、と合わせた湯呑みを持ち上げ、チーフは茶のように中身をすする。真似して口にすると、アルコールが随分きつかった。 「ずっと一人でやってんのか」 「歌か?ああ、けっこう長い」 「コーヒー屋は?」 「御曹司の友人がいてな、良い感じにやらせて貰っている」 「コーヒー好き?」 「そりゃあ、そこそこ好きだな」...

December 1, 2019