巣立ち前

飯も食わずに毎晩安い酒ばかり飲んで遊び歩いていたらとうとう血を吐いた。 一時の住処として借りていた長屋に帰る夜道、坂道の終わりにポツリポツリと灯る街灯の下。 刀傷も受けないのに自身の体から流れ出る血には流石にゾッとした。それでも舌打ちする気分が勝り、イライラと塀伝いに歩きながら懐から煙管を取り出す。その後姿の哀しい事この上ない。 気を紛らわそうとしても、彼の手には驚く程に何も無かった。塀に沿って、足下では細い用水路が流れている。 酔った目だからか存外に水は綺麗に見えた。今夜は月の光も澄んでいる。 こんなに良い夜だってのになァ。 京のまちは竹の美しさが目に付く。 口元の血を拭い、壁向こうの豪邸に茂る竹林を見上げながら一つ深呼吸をした。 壁にもたれて一服してから、高杉はふらふらと歩き出す。本人にそういった自覚がなくとも、酷く危なげな姿だった。 暗闇に響くのは己のゼイゼイいう胸の音だけ。 時折息を殺して周囲を伺うが、嫌な足音は何も聞こえてこなかった。生きるものの足音は。 あぁ面倒だ早く鎮まれと、闇にそよぐ竹の青を時々横目で見上げて歩く。 長屋に辿り着くと同時に上がり框に倒れ込み、そのまま意識は泥に沈んだ。 冷たい泥の中で、途切れ途切れに子供の頃の夢を見た。夕陽に光る小川が眩しい。 その夢は尻切れとんぼに終わり、最後には背中に妙に現実感のある手の暖かさを感じたのだった。 「晋助」 目覚めると真新しい寝間着を着せられ、さらさらとした布団の中だった。 天井を見る限り、いつもの長屋ではある。もう良いやと思った。何が起こっても、ここが何処の世でも。 実際のところ生きるのがもう辛かったのだ。 右に左にと寝返りを打ち、さてと起き上がろうとしたその時に、たす、と床張りを擦る足袋の音。 まさかとは思ったが夢に見た顔がそこにあった。 まさか本当に捕まるとは思わなんだ。 彼らのその後の話から、足取りを予想する事も出来ることは出来たが、もはや殆ど当てずっぽうの旅であった。 桂は必死だった。 生きている、と信じて歩くしかなかった。 それからは当たり前の顔をして長屋に入り浸り、桂は何くれと高杉の面倒を見た。 生きて会えたのだから。それだけで、良いのだ。こちらからあれこれ聞く気にはなれなかった。 それにしても、一体何をして長屋を借りる銭やら酒代を得ていたのやら。 高杉は、夜になると黙ってふらりと出掛け、明け方に青白い顔で戻る。 数度咎めた所、存外おとなしく部屋に篭もるようになった。 自分ひとりなら托鉢ででも凌げるが、今はまともなものを食わせたい。 部屋代と最低限の飯代を、と桂は時折日雇いの仕事をこなし、温かいものを食べさせる。 次第に高杉の顔色は良くなった。 それでもまだ、夜中に魘されたり泣きながら目覚めたり。 飽きずに全くお前はと言いながら背中をさすってやる。 そんな夜が続く内に2人の間の距離感も掴めなくなってきていた。 ある夜、また酷く魘されるので強引ながらも上体を抱き起こし悪夢から引き上げた。 夢見の所為で興奮したのだろう、頬に触れると熱い。 逃げるなり嫌がるなりの気配も無く大人しく触れさせるので、そのままに撫でた。 シャーシャーと毛を逆立て威嚇していた癖に慣れれば目を細めて喉を伸ばす野良猫を連想させられる。暫く撫でると、やっと落ち着いた。 しかしこれで安心と思っても時折小さく震えるから、着物越しに肩を優しくさすりぎゅうと抱き締める。以前と比べると随分痩せてしまった様に思う。 昔のままに無邪気に触れるのはためらわれたが、寄り添わずに居るのも不可能だった。 一度抱き締めてしまうと底無し沼で、もう二度と離すものかと思った。 やっと会えたのだ。 桂だって、優しいだけの親鳥では居られなかった。 せめて心身ともに高杉を壊してしまわぬよう、ゆっくり触れた。 「すまねぇ…ヅラ」 事が終わり、寝間着を着せかけてやっていると高杉が呟いた。 下を向き、振り絞った声。彼の口から己に向けてはめったに聞けなかった言葉だ。 久方ぶりのはずなのに滑らかに体が反応した事に対してだろうか。それは大方の予想はしていた事で、咎める気はなかった。 それとももっと大きな意味で、例えばずっと心配をかけて「すまない」だろうか。 そうか。そんな考えが出来るようになったのか。 海より深い俺の愛にようやっと気付ける程に大人になったのか。 改めて、行方知れずだった間の高杉の日々を思い胸が痛むのだった。 そうしたくなった時に話してくれれば良い。お前が帰る巣はいつでも俺が温めて居る事だけは忘れてくれるな。 突き詰めてみれば、本当に伝えたい事はそれだけで、静かに話した。 幼馴染である己にどうにか強がって見せて安心させようとしているのか、ひたすらに哀しくて、愛しく感じた。 何を今更強がると言うのだろう。俺の前でそんなもの、とっくの昔から意味などないのに。 高杉は高杉で、子供の頃のまま自分を諭し宥めてくれる温かい桂の手が心底不思議だった。 たった1人で、努力を重ね生きてきた少年が、どうしてこんなに人を思いやる男になれたのだろう。 比べて俺は。将の器には足りない所だらけさ。 桂の手に頬を擦り寄せる。 ひと月の間を桂と共にその長屋で過ごすと、高杉はある日忽然と姿を消した。 手紙も形見も、残り香さえも。後には何も残さなかった。 どれだけ俺が悲しく思うか理解していただろうに、な。 彼の行く末が少しでも明るいほうへ向かうと良い。青い空を見上げ桂は願う。 胸の奥のどこかにある隙間を、冷たい風が吹き抜けていった。

July 26, 2017

青きも熟す

2人が出発した翌々日、親子も屋敷を留守にした。 『身寄りのない旧友の体調が宜しくない。急で悪いが半月ほど留守にする。』 繰り返したのはおおよそそんな内容だ。方々に頭を下げて回った。 問題は足だった。いつかはこんな事もあろうかと小型の空飛ぶ船を蔵に隠してはいた。 重い扉を開くと、冷たい空気と黴の香りが流れ出る。 ここには鬼兵隊の解散時に引き取った荷物を詰めている。亡くなった者の遺品もある。捨ても出来ず、それでいて側に置くのも心苦しい。そんなものばかりだ。 小船は、銀時と桂に託そうか迷ったものの止めたのだ。 桂は時代の要人になってしまったし、銀時は今や庶民のヒーローだ。彼らが目立つのは当たり前だが、だからこそ簡単に手も出せまい。 しかし乗り物なら事故に仕立て上げる事が出来る。恐ろしい話だ。 それは昔、高杉自身が用いた手でもある。 「父様、そんなの持ってたの」 ふいにフクの声がして驚いた。 「油差してねえから、こいつは駄目だ」 最後に乗ったのはいつだったか。血は付き物だった。 「乗れないの」 「ああ。残念だったな」 「じゃなくて父様が。運転出来ないんでしょう」 「言うじゃねえか。さ、狸共が怒るぞ」 「ハクビシンですって」 子連れ狼はそれらしくトコトコ行こう。勿体無い代物だ。 それに手入れをしていないのは事実なのだ。 京の町を見せずには行けまいと思ったが、良い思い出がない。 実際に賑やかな街を目の当たりにして、高杉は内心で途方に暮れていた。 あの店はまさか健在では無いだろうが。背を向けたものの、結局来た道を戻った。 置屋に匿って貰っていた時期があるのだ。 思い出を頼りに小路を歩き、確かこの辺り、と覗くと其処は今風の立派な宿になっていた。 勝手口から現れたのは宿の女将だろうか。きりりとした立ち姿が美しい。女の顔には見覚えのある泣きぼくろ。 よく見ると、昔世話になった姐さんその人だった。 止めた歩みを戻せずに突っ立っていると、隣のフクはもちろん、女将からも怪訝な目を向けられた。 彼女は旅装で子連れの高杉の姿を認めて一瞬思案したようだったが、目を丸くした。 「…逃げられたのかい?亡くなったのかい?」 久しぶりだと言うのに随分なお言葉だ。 フクの母親の事か。嫁ではないが、長髪を思い浮かべ笑った。 編笠を外しながら歩み寄る間、彼女は両手を広げて待っていてくれた。 ぎゅ、と親愛の情を込めて抱き合った。 「俺には出来すぎた嫁でな、仕事先に長くいるから旅がてら迎えに行くところだ」 「あらまあ」 みるみるうちに女将の顔が明るくなった。その暖かさに磨きがかかったようだ。 「それはそれは…。すっかり立派な旦那様になっちゃって」 「姐さんほどじゃねえ」 苦笑して返す。 これが、嫁。そう桂を紹介したらどうなるだろう。 女装で来てくれれば存外穏便に済むかもしれない。 それとなく空き部屋を尋ねると、割安で二泊させてくれるという。 参ったな。ますます頭が上がらねえ。しかし物は考えようだ。つまり、またこの街を訪れる言い訳ができた。 旅装を解き、通された部屋に寝転ぶと旅の疲れを感じた。 外は小雨が降り出していた。 「取り敢えず一服だな」 「タバコは駄目ですよ」 「…信用ねえな」 うつ伏せに寝そべる高杉の腰に頭を乗せ、子は仰向けで本をめくり始める。 紙の音は子守唄になった。 ぺら、ぺらり。めくる音にばらつきがある。 今のは前に戻って何かを確認した音。分からない事があれば俺に聞けば良いのに。 旧友たちの姿と比べてしまうのは仕方ないと思う。 銀時は漫画ばかりで、桂は小難しい本は勿論だが、時折その後ろに隠した別の何かを読んでいた。 自分たちを育てる身と比べれば随分と楽なものだ…。 「父様、ちょっとお宿の周りを偵察してきますね」 その声にはっとする。 「…降ってるぞ」 「傘あります」 「何かあったらすぐ連絡しろ」 子どもの体力とは恐ろしいものだ。片手を上げて送り出した。 知らぬ間に寝入っていた。 いつしか雨は上がり、遠くの緩やかな山の麓に薄っすらと虹が掛かっていた。 穏やかな深い息を続ける持ち主の手綱を逃れ、心は山の向こうへ飛んでゆく。 夢を見た。 昔、共に戦った面々が出てきた。 朝焼けの中、川べりに皆で腰掛け酒盛りをしている。 向こうでは人それぞれで流れる時間の速さが違うらしい。...

July 26, 2017

まごこロボ

勝手にロボ編・後 君が先か。 あっさりしたものだった。 置いてけぼりの寂しさを感じ、いったん身体を起こす。 湯、ドライヤー、衣擦れ、戸の開閉。それきり。 俺がさっさと出た方が良かったかなあ。それこそ「兄貴」らしかったんじゃないかしら。 こういう種類の気持ちは、例えばトシなんかは俺の知らないうちにあれこれ経験してるのかなあ。 状況がちょっと違うか。 だって何もしてないもの。 不思議なことに、この部屋には時計が無い。 いま俺は静かな小箱の底に寝そべっている。 とても自由で、帰りたい時に帰れば良くて。 自由すぎるのは少し寂しいな、とふと思った。 「アンタ、それで良いのか?」 昨夜だから、まだ半日も経っていない出来事である。 『男もお気に入りの香水の一つや二つ…』 万事屋の言葉に、後ろめたさを覚えたのは事実だ。 侍はそんな軟弱なことしませーん!って強がってきたけど、興味はあった。 頼れば、優しい部下たちは必死に一緒に考えてくれるんだろうと、何となく想像も出来た。 色気づきやがってと小突きながら、きっと嬉しそうに。 しかし腐っても俺はリーダーだ。 まずは自分で頑張ってみたい訳なのです。 お気に入りってのは、決して段ボールから見付けるものじゃないんだろうけど。 まあ、ありがたい機会ではあった。 青空市を抜けた愛しのあの子の背は、ゆっくり小さくなっていく。 それをぼんやり見送ったあと、懐から小瓶を取り出してみた。 小さすぎて、おもちゃみたいだ。 シュッ、て出来ない。小さな蓋を落としてしまわないように、慎重に慎重に回す。 開けるとすぐ中の液体が見えて驚く。 えっ、こんな感じ?シュッてしないならどうするの? 帰ってトシに聞こうか。…駄目じゃん俺。 知らずにがっくり落ちていた自分の肩に気付き、くそー、と思う。 くそー、くそお。 両手を青空に突き上げ、下ろす。 ついでに肩をぐるぐる回すと何だかすっきりした。 そして、大好きなあの子と向き合うために、今日は俺自身を満たしましょうデーにしようと思い立ったのだ。 行ったのは、バッティングとかつ丼とスーパー銭湯。 なあんだ、と笑わないで欲しい。誰が何と言おうと、俺は満たされたのだから。 自分だけのために使う休みは、久しぶりだった。 あと、香水について。 これは降って湧いた幸運だった。 スーパー銭湯でドライヤーを使っていると、隣に若い兄ちゃんが立った。 俺は腰タオルで先にドライヤー派、兄ちゃんは先に着ちゃう派と見た。 その彼は、懐から丸い小さな陶器を取り出して、ささっと何かした。 おまじないみたいな動き。手首、膝裏? と、ふわんと甘い香りが漂う。 なるほど!「そうやるんだ!」 やべ。 顔を上げた彼と目が合う。 「びっくりした。はは、目にゴミ入っちまった」 嫌そうでもなく、彼は片目をこすりながら笑った。 「あ、えっと、すみません」 「…いや。あんたは好かないか?」 「好かなくないよ!ただ、使い方よく分かんなくてね」 「小瓶なんかなら、蓋開けてこうやって(と言いながら彼はそれらしく手を動かして見せてくれた)押さえて、指に付いた分を肌に置く。ほんの少しずつ」 「へええ。ふうん…なるほど」 「じゃ、な」 俯いたまま低い声で教えてくれた彼は、最後にこっちを見てそっと笑った。 「ど、ども。ありがとう」 ちょっとこっちが照れちゃうような、綺麗な兄ちゃんだった。 ロッカーに戻り、着物を着て、兄ちゃんの教えに従う。 いい匂い。 うふふ、と思った。 一人でお酒なんかも、ちょっとだけ、して帰っちゃう? そして立ち寄った酒場で、奇跡の邂逅が起きる訳である。 こちらでも?ええもちろん。…で通されたカウンター、隣は紺の着流しの男。 席に着くと、甘い香りがふわり。 「スパ銭いたよね?」 こっそり横顔を盗み見るとビンゴ。声を掛けずにはいられなかった。 「その匂い…ぎ、」...

June 12, 2017

箱に下心

勝手にロボ編・前 依頼をスムーズにこなすためにはどうにも人手が足りなかった。 おまけに、埋めるべき穴とは天気の良い日ほど忌み嫌われるポジションだった訳で。 悩んだ挙句、銀時は禁断の手を使ったのだった。 万事屋を出た三人は、イベント会場である近所の公園に向かう。 準備万端、意気揚々。一行の姿は、いつもの万事屋に見えた。社長を名乗るには幾分か若い銀髪の侍、色白の美少女、それと。彼に関しては準備を「施された」が正しいだろう。あれの中身は可哀想なツッコミ少年か。 彼らを知る近所の人々は、笑って手を振り見送った。 中身は可哀想な…本当だろうか? 何と問われれば、道行く人々は着ぐるみと答えるだろう。 しかしこの着ぐるみ、ちょっと珍しいレトロなロボット型だ。 清清しいほどに段ボール箱だけで出来ていて、全体が直線的だ。潰した状態ではなくあくまで「段ボール箱」で全身が表現されている。 頭と思しき部分が一番大きい。それに比べ胴体に使われている段ボール箱は少しだけ小さく見える。手足は細長く、もちろん段ボール箱。 酷く簡単に作れそうだが、実は繋ぎ目の部分の処理が非情に難しいかも知れない。中の人間に求められるバランス感覚は、想像を絶するレベルかも知れない。そこには未知数の闇があるようにも見えた。 どちらにせよ、悪びれもせずに見る者を混乱に引きずり込む、万事屋渾身の作品であることは間違いない。 人々は思うだろう。斬新で間抜けで、どこか愛らしい。 「良いか、何があっても新八だっつって押し通すからな」 「でも被ってるからちょっと大きくても気にならないネ」 「被ってるからね。そうねサイズが…気にならないね、下から見ても。被ってて。ふ、っぶふ、あだっ」 一体何を考えたと言うのだろう。銀時の心に巣食う悪魔に、ささやかな天誅が下ったようだ。 休日の商店街は人が多い。目的地に向け、一行はおしゃべりをしながら進んだ。 ロボットは注目の的だったが、笑いかけてくる人々に手を振ったり「十時からゲンガトイ本日限定オープン!よろしくネ」と軽く宣伝をしたのは銀時と神楽で、本人は無言で歩き続けた。 ごす、ざす、がさ。 彼が歩く度に、素材が掠れ合う音だけはする。 ロボットらしいと言えばそうだ。 そうして三人は今日の仕事場に到着した。 大した報酬は望めないものの、単純に面白そうだったから受けたまでである。 広い公園を会場とし、百以上もの出店が集う。 骨董品(人によってはガラクタ屋だろう)、金継ぎ実演、採れたて野菜、即興似顔絵屋、コーヒー、若旦那の漬物屋…。 『かぶきもの市』 新緑映える季節に如何にも相応しい、和やかな催しだ。 「よお。また作り足したのか」 「おはよう銀の字。可愛いだろう。やあ、お前らも立派なロボット拵えたな。沢山呼び込んでくれよ」 『げんがとい』 黒ペンキで書かれた無骨な立て看板の後ろから、機械工風の男がぬうと立ち上がる。 ばしばしと背中を叩かれ、段ボールロボットは困ったように手を上下させた。 その様子に、近くの出店者の子らが寄ってくる。 物は気になるが店主が怖い。と思ったかは不明だが、どうにも近寄りがたい風情ではあったらしい。 「俺だけじゃあな。お前ら、今日はよろしく頼むぞ」 段ボールロボットは、おっかなびっくり、直方体の手で子どもたちの肩を叩いてみた。 果敢な少年が一人、ロボットの胴体を突付き返す。 ロボットはふざけて、いきなり両手を上げて見せた。 わーっ、と笑い声を上げ、子らは母親たちの店に戻って行った。 「また来るネー!」 「売れても売れなくても、うなぎ串くらいは買ってやる。あっちで見たぞ。確かに冬ものが一番だが、鰻はいつ食っても美味い」 「爺さん太っ腹アル!」 「神楽、ちゃんと持って来ただろうな」 「アイアイサー!」 神楽は、専用のベルトで斜めがけにしていた炊飯器を掲げて見せた。 源外の長机には、手のひらサイズのロボットがからりと並んでいた。 ロボットの背中にはこれまた小さなぜんまい。得意気な源外に促されて神楽がそれを回すと、ミニチュアロボットはぎいぎい言いながら白い手の上で足踏みをした。 「何に使うんだ?」 「最近の奴らは分かってねえな。これだけだから良いんだろうが」 銀時が別の個体を手に取りぜんまいを回すと、こちらはバチッと弾かれたように頭が数センチばかり伸び上がった。 「うおっ」 「それは当たりの卵割り機だ」 「銀ちゃん、これ欲しいアル!」 「そんならこっちはどうだ、ダニ起こし機。枕に当てて連打させると、何匹かは出てくる」 「…微妙アル」 段ボールロボットは、じいっと様子を見つめていた。 丸くくり抜かれた目には濃い色のサングラスのレンズがはめ込まれていて、その奥は窺い知れない。 だが、興味津々で覗き込んでいるように、見えた。 周囲にアナウンスが響き渡る。 『出店者の皆様にお知らせします。間もなく一般開場の時刻となります。笑顔を忘れずに、楽しい市にしましょう。繰り返します、間もなく…』 「俺はヘラヘラ手を振ってれば良いのか。ケムリ休憩は貰えんだろうな」 源外から一番遠い場所に立った段ボールロボットは、くぐもった声を出した。 何やら弱腰だが、ここまで来たらやり遂げて貰うしか選択肢は無い。 げんがとい、の出店位置は会場のちょうど真ん中辺りだ。公園の入り口の方は早速賑わい始めていた。 「ケムリ…そうね」 銀時は段ボールロボットの頭部を顔側にずらし、出来た隙間から手を突っ込む。 大切な回路か何かに傷を付けたら大変だ。指を軽く折り曲げ、そろそろと中身を探る。...

May 28, 2017

茶会

けものの明日4 高杉は、かつての仲間を訪ねる事にした。 部下と言っても、当時すでに妻子持ちだった男である。目まぐるしく二転三転する世情を押さえながら、よく冷静な意見をくれたものだ。 そうして立ち寄った湖のほとりの街には、涼やかな風が吹いていた。 訪ねた家は全体的に黒っぽく見えた。聞くと、柿渋で染めた、らしい。 「昔、隊で借りていたお家で、こんな所あったでしょう」 そう彼に言われても、とんと思い出せない。頭をひねったところで出てくるものもなく、彼の仕事を褒めるだけにしておいた。 ところどころ禿げてはいるが、屋内の漆塗りの柱も良い。 彼の子どもたちは既に成人して家を出たという話だった。家の中は静かである。 彼の女房と直に会うのはこれが初めてだ。 「その節は。ご亭主には感謝してもしきれません」 玄関で揃って出迎えてくれた夫婦には、まず深く礼をした。こういう時、何も言わないでもフクは一緒に挨拶してくれるようになっていた。この素直さのまま育ってくれると嬉しいのだが。 部下本人よりも、何故か彼女の方に会いたかったように思う。頭を上げるとちょうど二人も上げるところで、目が合うと女房は微笑んだ。 これが、あの頼れる男を支えていた女房か。 切れ長の目が、笑うとますます細くなる。きびきびとした立ち居振る舞いが美しい。頼り甲斐のある婦人だと思った。 茶道の心得がある女と聞いたことがあったが、今は街で師匠をしているそうだ。 実は楽しみにしていたのだ。これは良い機会、と彼女に申し入れると、快くフクへの稽古付けを承諾してくれた。 これが間違いだったのである。 屋敷で見せられた桂の手前を面白がってはいたが、そこはまだ子ども。改めて「授業」とされると耐えられなかったらしい。 女房に連れられ街の教室に入ると居並ぶ土地の少女たち。それは確かに驚いた事だろう。 見よう見まねで入室の作法を教わっていたが、いざ座敷に並んで座るタイミングになると「これは」と彼なりの判断があったらしい。 「少し散歩してきます」 教室を出たきり、フクはエスケープしてしまったらしいのだ。 女房から連絡を貰った時、高杉は亭主と差し向かいで昔話と土地の鮒鮨を肴に、のんびり昼間から酒盛りをしていた。 特段慌てなかった。 荷物を開き、取り出した竹製の電子手帳に電源を入れる。フクの背守を探索すると直ぐ見つかった。 本人に知れたら悪い結果が予想されるので、自分がこんな機器を使っていることは内緒だ。 画面を亭主に見せると、そこは材木の問屋街だという。 迷惑を掛けてしまったと女房に詫び、重い腰を上げた。 街を歩くのも良いものだ。 しかし、示された場所に立ってもフクの姿は見つからなかった。 大型の輸送船がぽつぽつと停まる通りである。家具を扱う店や、材に関する貼札と共に角材をずらりと並べる倉庫。 隙間に隠れてはいまいかと、店との間や物陰を覗くもやはり居ない。 七つの男児だが、と細かい端材を取り扱う店の店主に聞くと、笠を被った母親に連れられた子なら見たが後は分からないとの返答だった。 さてどうしたものかと懐を探るが煙管は無い。久しぶりに出る癖だ。 煙をせずに今までどうやって、と考えたが、そんな時はフクの頬を突付いていたのだった。 困った奴。 溜息をついてぼんやり周りを見渡すと、車止めの上に、見慣れた小さな上着が乗っていた。 フクは、女の子ばかりの空間から必死に逃げおおせたのも束の間、街外れの公園で懐から取り出した飴を舐めているところを捕まった。 「先生の弟子」を名乗る若い女だ。 「先生は怒ると怖いんですよ。頼まれてお迎えに来ましたよ」 心底驚いた。逃げ出した事は父の耳にも入り、教室で平謝りをしたらしい。 父様が…。背筋が凍った。 もう逃げ場が無いと流石に観念する。 「特に今日は、逃げてしまうなんて勿体無いですよ」 女の言うに、今日は特別で、皆は山に建つ庵に向かったという。 途中の小川で水を汲み、野の花を摘んで庵に生けるというのだ。 ほんの少し、心を動かされた。 堅苦しい座敷での授業は始めだけ、とどうして誰も教えてくれなかったのだろう、意地が悪い。 「向こうにはお父様もいらっしゃいますよ」 なんだ。 「じゃあ行きます」 フクは素直に、その若い女の後を付いて歩き出した。 おかしいと気付いたのは、歩く道が、よく手入れされた針葉樹の森から、倒木と広葉樹が入り乱れる密度の高い森に変わって道がどんどん細くなってきた頃だ。陽はもうこれから傾き始める時刻だった。 「まだですか?」 「もう少し」 「あの木の向こう?」 「そうね」 女の歩みは変わらない。 木戸先生の言う「奴ら」について、もっと父から聞いておけば良かった。 どんな顔をしているのか、着物は何色か。 背は高いのか、どんな武器を持っているのか…。 「お前は、自分の父様がしてきたことを知っているの」 引かれる先の手が強張っていることに気付き、初めて本当に怖いと思った。 恐る恐るその横顔を見上げるも頭巾の影で表情は見えない。 「父様は、優しい、よ」 しゃきん。 何処からか刃物の音がして女は早足を止めた。 ぐっ、と急に地面が遠くなる。 「お待ちどうだったな」...

May 21, 2017